WEB金蘭会

    大坪 清氏






 
校舎
ご本人
バレーボール部
 
 
大手前時代の思い出


昭和32年のご卒業ですが、中学はどちらの卒業ですか。

東中学です。大手前に入ったら非常に勉強の出来る学校で、 勉強もしなくちゃいけないけど学校を活気づけるためにもいろいろやらなあかんということで、 いい意味でも悪い意味でも相当暴れまわったんじゃないかなと思います。バレーボールもさることながら、 大手前の中では一番悪ではなかったのかな。


バレーボールに一生懸命でいらしたんですよね。

僕らの前は、大手前のバレー部は3部か4部をうろうろしていたと思うけど、 僕らは1部の2位で、大阪府下で2位までいきました。非常に頑張ったということです。

新聞記事を拝見しますと指を骨折されても頑張られたそうですね。すごいファイトですね。

今でもこれ以上曲がらないのですよ。(手を見せて)
バレーボールも頑張ったけど、学校を活気づけるのにいろいろ頑張った。 よく総会があったじゃないですか。講堂に座って、 後ろで野次を飛ばすのはいつも我々でした。そういう時代でした。

あまり勉強をしなかったとおっしゃりながら、神戸大学に進まれたのは偉いですね。

勉強するときは勉強したんですよ。当時の先生、綿谷先生、矢倉先生の両先生から悪の一派と見られていたけれども、 途中からバレー部が強くなって先生の見る目も変り、体育は点数が一気に上がって、 100点を付けてくれました。見るべき目を持っておられたのですね(笑)
綿谷先生のニックネームは「わたやん」。 もともと体育じゃなく社会科の先生だった。大手前時代にお世話になった先生はその二人と、 国語の村松先生、それから中村吉太郎先生、片山先生、皆紳士でしたね。それらの先生は我々の活動に理解を示してくれて 大手前全体を活気づけるために、 少々暴れなきゃいかんということで。

大坪さんの頃のバレー部の顧問は、中村三郎先生では?

バレー部の顧問の中村三郎先生さんは別の意味で御世話になった。 バレー部のテーマソングである「いも掘りほい」の歌を歌いながらよく踊らされたものです。 実際お世話になったのは英語の中村吉太郎先生です。

女子バレー部はなかったのですか?

女子もありましたが弱かった。その頃女子も強くしようということで岸田さんや津川さんらと 一緒にバレーボールの練習をして、5部から3部ぐらいまでにはなった。

時間差攻撃を考えられたとのことですが、凄いですね。 そういうことはミーティングで考えられるんですか?

時間差攻撃とフローターサーブ。 今、東京にいる小塩君、橘田君らと、 普通の練習をやっていては勝てない、特に西野田工業高校、堺商業、港高校、高津高校とか関大一高という学校が 強いだけではなく、体もはるかにでかい、幾ら飛んでも上から打たれる、 何か考えないといけないということで、まずサーブを考えた。 あのころは9人制で初めは上からドライブサーブを打つ。セカンドサーブは下から打っていたが、 セカンドも何か考えないといかんということで、いまでいう野球のナックルボールと同じ、 くっと押出してボールを回転せずに飛ばし、空気抵抗でボールがゆらゆらっと揺れる方法を考えた。 これを研究して成功させてどんどん勝った。高さの攻撃は相手のほうがうまい。高さではなく、 相手のタイミングが合わない打ち方を考えようということで、 時間差攻撃を考えたんですよ。

頭で勝負ですね。やっぱり勝つためには工夫する。 人生もそうだと思いますが、 若い時から凄いですね。

神戸大学でもバレーをやって、住友商事に入り、そこでも7年ほどやりました。 住友グループは、住友金属が強いので勝てない。住友化学も強い。だけど何とかしなくてはと努力し、 住友6社会ではいつも最下位だったのが3位になった。 僕らの時はずっと負けなしで24連勝した時もありました。
僕らは休憩時間にも自分でボールを上げて打つ練習をしていましたが、 よくみると今プロのバレーの選手がしているが、あれは我々もやっていた。 自分で上げて塀に向かって打つ練習をよくしていました。

大変失礼ですが、大手前同期であこがれの方はいらっしゃいましたか?

そりゃおったでしょ。逆にアプローチがあったのもかなりあったのではないかな。(笑)

来年は金蘭会120周年です。来年の10月16日にロイヤルホテルで金蘭会120周年記念祝典・祝賀会がありますので、 ぜひお越し戴いて、学年の皆様とお会いいただいたらいかがでしょうか。

大洋工作所の辻君、日本タクシーの坂本長作君、小塩君、岸田君とか同期ではそこそこ連絡はあります。 女の子もメールを打ってきてくれたりする。同期でメールをもらうと、 大手前時代だったか、大学時代だったか、会社に入ってからだったか、 わからんようになる。それで打ち返したら大手前時代ですということで、 ああそうかということがあったりするんですよ。

メールが来るのは凄いですね。他にはどんな思い出がおありですか。

大手前時代の思い出の1つに食堂がある。1年後輩の大野君のお父さんがやられていて、 お父さんにはよく応援してもらった。 マケてもらったり、カツレツを大きめにしてもらったり。 確か50円だったと思うけれど、どどーんと大きくしてもらったりしました。

高校生だと凄く食べますものね。 ところで修学旅行は何処へ行かれましたか?

九州の阿蘇山や熊本です。両方とも汽車で、関門トンネルを超えた。あの頃を思い出すと懐かしいですね。 女の子達ともいろんな話ができた。
運動場がとにかく狭くてね。本当にラグビー部が練習しだすとすぐけんかになったりしました。 大阪城一周マラソンもありましたたね。

私たちの時もありました。外堀とか内堀を走りました。


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