第109回金蘭会セミナー リポート
大林組に入社、14年前ハイアット・リージェンシー・オーサカの建設時、ハイアット社との交渉を担当していた関係で2年前から現職。
@どうしてホテルに関わっているのか?
1976年(昭和51年)に大林組に入社。
ハワイのカウアイ島に大林組がシェラトンカウアイホテル(170室、2階建て)を所有していた。いつも9割の稼働率。10年ほどやって儲かって仕方が無かった。そこで山側に232室を増室することになった。
1981年(昭和56年)ハワイへ行った。建築が始まり順調に進み、翌年春には工事が済み、竣工して402室になった。ところが秋にハワイで25年ぶりの台風で、元々あった170室が波にさらわれた。結局台風の後始末とホテル再建のため6年ハワイに滞在することになった。
再建したが、1992年再び台風で被害をうけた。カウアイ島は映画ジュラシックパークのロケ地で、スピルバーグ監督一行の撮影が終わり島を去った後、この台風がやってきた。
6年も居るとハワイでも色々なことがあった。
ホテルで言うと 明治時代、日本の人がカウアイ島に移民し100年で、常陸宮ご夫妻が来られるまでになった。また当時貿易摩擦が高まり、MOSS会議(日米通商次官級会議)が開かれた。官僚など重要ポストの人も泊まられるホテルである。私自体はあまりホテルのことは知らなかったがたまたま、ホテルの増築、台風の被害のときに交渉したのが縁でホテルに関わることになった。
帰国後、工事現場に戻る。戻った現場もたまたま新大阪ワシントンホテルの建設現場で、1989年(平成元年)までかかった。終わった頃にハワイ時代、ロサンゼルスで一緒に仕事をしていた人がホテルの交渉担当になり、一緒にやろうと声を掛けられた。それが南港のホテル、ハイアット・リージェンシー・オーサカで、再び日本でホテルと関わることになった。
Aハイアットとはどんなホテルなのか?
ホノルル、グアム、サイパン、香港にもある。 ハイアットは元々ロサンゼルス空港の側にあったホテル「ハイアット」をシカゴの富豪プリツカー一族が購入しチェーン化したものである。
大きく言うと3つのブランドがある。 「グランドハイアット」は、大型で特に首都におかれ、日本では東京、福岡にもある。 「パークハイアット」は、高級で客室に特化した旅館風のサービスをするホテル。競争相手はリッツカールトン。
そして「ハイアットリージェンシー」がある。
「グランド」というのはニューヨークのgrand central stationにあった怪しい雰囲気のホテルをNYの不動産屋であるトランプ氏が購入、大改装し立派なホテルにし、プリツカーに運営を依頼したことに由来する。たまたまハイアットが引き受けてグランドセントラルの上にあったというで以降ハイアットが運営する大型ホテルをグランドハイアットと呼ぶことになった。
「パークハイアット」は、プリツカーがシカゴの人で、シカゴのマジソンアベニューの端にある公園water parkの小さなホテルを所有し改装したことに由来している。これがたまたま客室に特化したホテルなので後に「パークハイアット」と言うブランドになった。
<スライドショー>
日本と世界のハイアットの様子。
グランドハイアット東京、パークハイアット東京、センチュリーハイアット東京、ハイアットリージェンシー箱根、グランドハイアット福岡、ハイアットリージェンシー京都、ハイアット・リージェンシー・オーサカ。
大阪ではニューオータニの次に広い宴会場を持つ。1800uある。
ハイアットは1952年にスタートしたホテル。プリツカーは建築物が好きでホテルの建物についてはこだわりがあった。ハイアットが有名に成るきっかけも、巨大な吹き抜け。ハイアットは巨大な吹抜のあるホテルとして知られるように成っていった。
<スライドショー>
グランドハイアット上海
ハイアットリージェンシーアトランタ、ハイアットリージェンシーサンフランシスコはタワーリングインフェルノの舞台になった。
パークハイアットドバイ
各地で非常にグレードの高いオーナーに作らせて運営。
Bホテルの運営
社長と総支配人はどちらが偉いのかと聞かれる。簡単に言えばオーナー会社と、運営会社の違いということ。 ハイアット・リージェンシー・オーサカで言うとオーナーは大林組でその代表が社長。運営会社はハイアットで、その代表が支配人。立場が違う。
ホテルの運営形態は色々あるが、自分で運営のノウハウが有れば直営、なければノウハウを買うか運営を誰かに頼む。
ノウハウを持っていないホテルの所有者にとって、有利なのは、建物をそっくり賃貸し、決まったお金を貰うのが一番良い。
賃貸はいやだということになれば、ホテルの名前だけを貸してくださいというフランチャイズ形式。
そして運営委託方式がある。すべてお任せします、好きにやってください、あなたのことは全て信用していますというのが運営委託。
ハイアットリージェンシー大阪はこの運営委託方式をしている。 都ホテルも、近鉄が所有・運営してきたが、今は運営者を探している。 都ホテル白金はシェラトンに、上六もシェラトンにかわる。京都の蹴上はウェスティンになった。日航ホテル、全日空ホテルなどがあったが経営が苦しくなり売却している。
どうして経営委託方式が始まったか。 元々、自分で建てて運営することが基本だった。 ヒルトンはキューバに数個のホテルをもっていたがカストロに没収されてしまった。それ以降ヒルトンではリスク回避のため直営を止めてしまった。その代わり頼まれたら経営してあげますよという運営委託をはじめ、現在これがほとんどのホテルの主流になっている。契約の仕方にもよるが、売りあげの何%という形で手数料を貰って、利益が出ると報償という形で利益の何%をという契約になるので絶対損しないということ、政治やカントリーリスクの無いということで、今この経営委託が流行っている。
C旅館からホテルへ
元々ホテルは街道沿いの旅籠が原点ではないかと思う。 大手前高校生にとって一番身近な京街道。その起点は高麗橋のたもとで、石碑がある。京街道は東海道53次のつづき、4つ足して57次が守口宿。先日、京街道を枚方の光善寺から淀の競馬場まで歩いた。てくてく歩いて、しんどいと思ったらそこが淀宿だった。人間、てくてく歩いて20キロも歩いたら相当しんどい。そういうところに宿場がある。
そういうふうに宿場は出来て行ったのではないかなと思う。
実はこの宿場というのは日本だけでなくアメリカのカリフォルニアにもある。
それはエル・カミノ・リアルという名前。これは馬車で行く道で50キロごとに宿場がある。
スタートがサンディアゴ。野球でサンディアゴパドレスという球団があるが、パドレというのは神父を意味する。神父さんが行く道の球団。サンフランシスコと北まで延々と巡礼道がある。
エル・カミノ・リアルの街には、サンとかサンタという言葉がついている。サンディアゴ、サンタバーバラ、サンタクララ、サンホセ、サンフランシスコなどもみな巡礼の街である。
日本は徒歩、アメリカの場合はそれが馬車、さらにこれが進んで現在は飛行機で行く、飛行場が出来た所が宿場・ホテルになっている。
バリは田舎だが、まず飛行場が出来ホテルが出来た。良い所だな、行ってみようということで他のホテルができ広がっていったのが今のバリではないか。同様に地中海ではレバノンのベイルートが保養所であった。ベイルートがめちゃめちゃになり、今ベイルートに替わるのがドバイ。
<ドバイのスライドショー>へ
ため息の出るような贅沢で、夢のあるホテルや街や計画中のビルの紹介。
Dうちわの話
見た目は非常に華やかに見えて実は厳しい面も多い。従業員は憧れて入ってきているが、いわゆる3K職場だと思っている。特に失敗したときは思い切りクレーム受ける。
結婚式を開く新婦さんから「色々考えて来た私の式を台無しにした」と言われた事から一つの教訓を得た。お仕着せの式でなく音楽などを考えてプロデュースするというオリジナル挙式を求められていたことが分かったのだ。
今は新郎新婦だけでホテルに来て決めていき、式当日になってご両親がやってくるということが多々ある。入場したらそのまま写真を取り、式の終わりに映画のラストのように当日の出席者がエンドロールのように出る。
最近の若い人たちは両親を無視して自分たちだけで式次第を決める傾向があるが、ホテルとしては両親の見栄ということに大いに期待している。諸先輩方は是非お子様に同伴してホテルに来て下さい。
先輩の感想文です。
ホテルハイアットリージェンシー社長のお話を聞きました。
色々お話を伺っているうちに、自分達とは縁の無い内容に吃驚したり感心したりです。
谷口氏の人生の素晴しさに大いに希望を膨らませることが出来ました。
華やかに見えるホテルマンのお仕事もご苦労があるようで、お話を伺うと色々と考えさせられることもありました。谷口氏は様々な勉強をされて、ドバイで最新のホテルを考え、実現されたとのこと、改めてホテルマンとしての彼の人生のすばらしさに感心させられました。
フクミの感想文です。
大林組という、箱(建物そのもの)を作る会社に入社されて、ホテル建設に関わられたことが、今のハイアットリージェンシーホテル大阪へと繋がっているとの事。
きっとそこには、ハワイや日本での人との縁、谷口氏の人柄があるのだと思いました。
とてもにこやかに楽しくお話してくださり、柔らかい物腰であられ、今はすっかりハイアットホテルマンの顔なのではないでしょうか。
日本、そして世界のホテルを映像の世界で見せていただき、非現実の洗練された空間が とても心地よさそうで、エレガントな自分に変身できそうな、そんな気にさせられました。
とかくストレスが言われる時代。都会での非日常の一日を過ごしたら、きっとまた新たな気持ちで毎日を過ごせるのだと思います。
ホテルをこれまでのように何気なく利用するのではなく、その裏に多くのホテルの方の思いが篭っている事を感じることができるように思います。
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