夏目漱石 『こころ』の 下 先生と遺書の35段

三十五

「こんな訳で私(わたくし)はどちらの方面へ向っても進む事ができずに立ち竦(すく)んでいました。身体(からだ)の悪い時に午睡(ひるね)などをすると、眼だけ覚(さ)めて周囲のものが判然(はっきり)見えるのに、どうしても手足の動かせない場合がありましょう。私は時としてああいう苦しみを人知れず感じたのです。
 その内(うち)年が暮れて春になりました。ある日奥さんがKに歌留多(かるた)をやるから誰(だれ)か友達を連れて来ないかといった事があります。するとKはすぐ友達なぞは一人もないと答えたので、奥さんは驚いてしまいました。なるほどKに友達というほどの友達は一人もなかったのです。往来で会った時挨拶(あいさつ)をするくらいのものは多少ありましたが、それらだって決して歌留多(かるた)などを取る柄(がら)ではなかったのです。奥さんはそれじゃ私の知ったものでも呼んで来たらどうかといい直しましたが、私も生憎(あいにく)そんな陽気な遊びをする心持になれないので、好(い)い加減な生返事(なまへんじ)をしたなり、打ちやっておきました。ところが晩になってKと私はとうとうお嬢さんに引っ張り出されてしまいました。客も誰も来ないのに、内々(うちうち)の小人数(こにんず)だけで取ろうという歌留多ですからすこぶる静かなものでした。その上こういう遊技をやり付けないKは、まるで懐手(ふところで)をしている人と同様でした。私はKに一体百人一首(ひゃくにんいっしゅ)の歌を知っているのかと尋ねました。Kはよく知らないと答えました。私の言葉を聞いたお嬢さんは、大方(おおかた)Kを軽蔑(けいべつ)するとでも取ったのでしょう。それから眼に立つようにKの加勢をし出しました。しまいには二人がほとんど組になって私に当るという有様になって来ました。私は相手次第では喧嘩(けんか)を始めたかも知れなかったのです。幸いにKの態度は少しも最初と変りませんでした。彼のどこにも得意らしい様子を認めなかった私は、無事にその場を切り上げる事ができました。

青空文庫より  http://www.aozora.gr.jp/main.html