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金蘭会セミナー


第116回
平成20年3月21日(金)
演題
『赤毛のアン』の今日的意味
講師
小畑精和[おばたよしかず]氏(昭和46年卒)
明治大学政治経済学部教授

小畑精和氏 プロフィール
学歴:
1976年3月 京都大学文学部(フランス文学専攻)卒業
1979年3月 京都大学文学部文学研究科(フランス文学専攻)修士課程修了
1985年3月 京都大学文学部文学研究科(フランス文学専攻)博士課程単位取得退学
1985年4月 明治大学政治経済学部専任講師就任
1988年4月 明治大学政治経済学部助教授就任
1992年4月〜1994年4月 
        モントリオール大学大学院博士課程(ケベック研究専攻)
        単位取得(博士論文提出資格取得)。
1995年4月 明治大学政治経済学部教授就任

主著: 「ヌーヴォーロマンとレアリストの幻想」(2005年、明石書店)、
    「アメリカの光と闇」(共著、2005年、御茶ノ水書房)、
    「ケベック文学研究」(2003年、御茶ノ水書房)、
    「越境する想像力」(共著、2003年、人文書院)、
    「過去への責任と文学」(共著、2003年、皓星社)、
    「アジア・ナショナリズム・文学」(共著、2000年、皓星社)など。

訳書: 「新版・資料が語るカナダ」(共訳、2008年、有斐閣)、
    「やぁ、ガラルノー」(ジャック・ゴブドー著、1998年、彩流社)、
    「アジアの中の日本文学」(オック・チュン著、1998年、皓星社)など。

専門: カナダ研究、フランス語圏の文学、比較文化論

現職: 明治大学政治経済学部教授、明治大学国際交流センター所長、
    日本カナダ学会理事、日本カナダ文学会理事、
    ケベック研究国際誌「Globe」編集顧問。

受賞: 北米フランス語普及功労賞(1998年、ケベックに関する研究・出版業績により
    アジア初かつ、現在までも唯一の受賞)、
    カナダ首相出版賞審査員特別賞(2003年、「ケベック文学研究」の出版により)





第116回金蘭会セミナー 感想

昭和46年卒    諏訪千絵

 
 白状しますと、『赤毛のアン』は小学校高学年から中学生にかけての
愛読書でした。全十巻揃えて読みふけり、今でも処分できずに大事に
残しています。
 
  今回、小畑教授のお話を拝聴して、十代初めに熱中した「アンの
世界」は、「アンというフィルター」を通した「気分」に同化していたのだと、
改めて気付かされました。現実にはありふれた湖や小道が、アンの
想像力を通してロマンティックに語られると、「輝く湖水」や「恋人たちの
小径」に変身する。。。五十路も半ばの今の 自分から見ると「キッチュ」で
しかないものを、十代前半の私は、確かに受け止めたがっていました。
 
  話は飛びますが、小畑教授のお話を伺いながら思い浮かんだのは、
「情報」という単語です。一つの「情報」は、誰かが何らかの意図をもって
発している。受け手にも様々な状況があり、「梱包された小包」のように
やりとりされるのではない。『赤毛のアン』も一つの「情報」であるとしたら、
宗教や時代背景や地理的条件を考えながら再読してみたいと思いました。























第116回金蘭会セミナー 「『赤毛のアン』の今日的意味」 メモ書き

 カナダの文学からカナダ社会が見えてくることが多い。
1992年のベルン条約により、モンゴメリーの日記や手記が出てきて再評価
されてきている。

 モンゴメリー自身、2歳で母に死なれ、祖父母に育てられ、父の再婚先へ
引き取られるが馴染めず1年で、再び祖父母の元へ戻ってきた。そのことが
「赤毛のアン」にも反映されている。作者のモンゴメリー自身は都会のオンタ
リオに住み、3人の子供を儲けるが夫が精神を病み、彼女自身もやんでいた
のではないかと最近では言われている。

 1908年に出版され、今年100周年ということで「赤毛のアン」を選んだ。
1952年に初めて邦訳された。訳者の村岡花子さんは村岡文庫を設立された。
「赤毛のアン」シリーズは10作ある。
当時のカナダの人口は1000万人。アメリカの女の子が牧歌的でいいなと思
うような普遍的な要素が詰まっている。

 本題を直訳すると「緑の切り妻屋根のアン」。「赤毛のアン」は名訳だが、
アン自身は赤毛を嫌っていたので必ずしも良い訳とは言えない。しかし“グリー
ンゲイブルズ(緑の切妻屋根の家)”の一員になっていくという意味が込められ
ている。またカナダ社会に移民が受け入れられていくことを反映している。

 プリンスエドワード島はカナダでもかなり辺鄙なところにある。マリラとマシュー
もスコットランド移民であった。Happyな人は移民しない。移民は豊かな生活を
求めて移民する。カナダの当時のイメージは寒くて人が居なくて田舎。そのカナ
ダでも辺鄙なところである。北杜夫の旅行記でもプリンスエドワード島は「何も
無いところだ」と言われている。
ごく普通の田舎である。

 可愛くて頭のいい子が成長する話だと面白くない。可愛くない、お喋りで想
像力豊かだが、失敗をするが勉強好き、そんな女の子が様々な事件を通して
だんだん成長して行く話だから面白い。

     〜ドラマ「赤毛のアン」映像紹介〜

 レイチェルさんは村の入り口に住んでいるので出入りがチェックできる。村の
閉鎖性を表している。想像力豊かなのはアンだけではない。我々も「素敵なと
ころだ」と思い込んでいる。映像と音楽でそう思ってしまっている。普通の田舎だ。
横川寿美子さんは「プリンスエドワード島がアンの想像力に寄ってワンダーラ
ンド化している」と言われている。

 マシューやマリラにとっては日常に埋没している素敵なものが見えない状態
だがアンの想像力によって素敵に感じられるようになった。アンのお陰で人生
が豊かになった。アンも敬虔なプロテスタントのマリラの教えにより成長し、大
人しくなった。

 作者のモンゴメリーの想像力でもあるがプリンスエドワード島はバンクーバー
同様比較的穏やかな気候だが冬は長く厳しく、あまり本に出てこない。初夏の
朝、夕暮れなどの描写が多く、冬の描写が少ない。38章のうち冬の描写は5章。
アンがエドワード島に馴染んでいくに連れだんだん冬が厳しくなく楽しいもので
あるかのように描かれている。
 
 敬虔なクリスチャンで禁欲的なマリラ、神の造られた正解で生きていくもので、
想像の世界で生きていくことは良くないことだと思っている。 しかしアンと暮らし
ていく中でマリラもマシューも成長していった。
原作ではマシューは銀行倒産の知らせを聞き倒れて亡くなったとなっている。
 
 アメリカはフロンティア精神、カナダはサバイバル精神だといわれる。
自然環境で言うとモントリオールの冬の気温はマイナス30度。厳しい環境の中
で耐え忍ばなくてはならない。歴史的にも仏系の人は本国に戻れない人。しか
し言語が違うので文化を守りやすかった。英系の人は独立戦争で負けた王党
派でアメリカに絶えず圧迫され、言語が同じなので飲み込まれやすかった。

 今のカナダは多文化主義。1960年代までは安い労働力確保のため、人種差
別的移民政策をしていた。60年代から世界に開かれた国になってきた。1976年
のモントリオールオリンピックで近代化された。
 
 マリラは自分達が頑張っているというところを見せている。アフタヌーンティをし、
キルトや料理をきっちりこなし、見事に演じきっている。あいつら(仏系、黒人)は
ダメなんだと思っている。貧しい生活ではあるがなんとか状況をクリアしていこう
としている。
 
 自分達のやっていることは当たり前になりがちだが、本当に当たり前なのか?
アンの想像力がマシューの生活を豊かにしていったように、習慣化された知覚を
揺さぶることが大切。誰の視点なのかということを見ると物事が様々に見えるし
豊かに見える。    

昭和62年卒    福味真樹紅


ページ作成 S53年卒岸政輝 & S50年卒谷村瑞栄&リポート34年卒町田&カメラ50年卒前渕