WEB金蘭会
金蘭会セミナー


第175回
平成26年2月14日(金)

演題
『北新地の歴史とその発展  〜〜現状と今後の展望』
講師
東司丘興一氏(昭和45年卒)
北新地社交料飲協会理事長 大阪府社交飲食業生活衛生同業組合(OSR)副理事長
 


東司丘興一氏 プロフィール

略歴:

昭和45年大手前高校卒業、その後大阪市立大学文学部英文科に進学・卒業。
大手前高校在学中に『JAZZ BAR MEURSAULT』を開業、
現在は北新地にてバー3店舗その他を経営中。
日本バーテンダー協会、日本ソムリエ協会等の要職を経て
平成20年より北新地社交料飲協会理事長に就任。
現理事長として北新地の発展に尽力している。
同じく、大阪府社交飲食業生活衛生同業組合(OSR)副理事長兼専務理事としても奔走中。

 













セミナー後の懇親会での お弁当と
季節の本格和菓子です。

第175回金蘭会セミナー 感想文

(感想文 長田陽子  平成4年卒 )

 

 「おおさか 北新地」の地名と言えば、日本の伝統文化である江戸-元禄期の浄瑠璃
『曽根崎心中』や『上方和事の名跡 坂田藤十郎』の代名詞として連想されるのでは
ないでしょうか。

 旅行必携ハンドブックを賑わすこの地はしっとりと味わい豊かに洗練されてきました。         
おなじみの如水の水五訓といい、「水」から学ぶことは深い…

 そもそも地名「難波(なには)」の語源説の多くが水との関わりが深く、古代から日本
の海運の玄関口であった難波津(なにはつ)。 645年大化の改新・難波宮遷都を幕開
けに航路開発と水上交易の拠点として都市建設が進められました。
                            
 近世豊臣時代、大坂城築城と城下町が整備され天下の台所を支える堀川が縦横無
尽に拡張、「水の都」の原型が出来上がり都市文化が開花しました。                      
 水都大阪は川が都心部を口の字にめぐる「水の回廊」が形成された、世界でも稀な地形。
        
 江戸時代に入りこの一画に北新地が誕生します。 
                               
 (以下、ご講演の大意から抜粋) 
    
江戸-貞享年間(1684〜87年):                                     
    徳川幕府の命により河村瑞賢が淀川河口の治水工事に着手。       
    堂島川と曽根崎川(蜆川)の浚渫改修により中州の島、堂島新地十一町ができる。

元禄元年(1688年):                                       
    町割により「堂島新地」が誕生。                              
    「堂島」の名称は聖徳太子の時代に建立された「なにわの守護」薬師堂に由来。
    大坂城の「北」の方位に位置することから「北の新地」と呼称され、開発後の
    振興策として茶屋株が与えられた。

元禄10年(1697年):                                          
    堂島の米市と各藩の蔵屋敷の設置により商業地として急速に発展、商家が集ま
    り商いの精神や学問を学ぶ。花街は曽根崎川を渡った曽根崎新地に移動し始める。

享保16年(1731年):                                          
    商業地の堂島新地と花街の曽根崎新地に区分けされ、天保13年(1842年)公許になる。

明治:
    花街の中心が曽根崎新地に移行。「浪花踊り」が大坂の春を飾る。

明治42年(1909年):
    「北の大火(天満焼け)」によりほぼ壊滅状態に。大火による瓦礫で曽根崎川が
    埋め立てられる。

明治45年(1912年):
    堂島新地と曽根崎新地が一体化、陸続きとなり「北新地」が誕生。

大正4年(1915年):
    北陽演舞場が再建され、北新地は逞しい復興を遂げる。

 以降、北新地は時代の潮流のなか綿々と続く芸能文化・ビジネス・社交の街として
成長し変遷をたどります。

 現在の大阪-キタは京阪神の玄関口となり梅田-北新地-堂島エリアを中心に歴史的
建築物や橋、美術館、科学館、音響施設、国際会議場、ビシネス街、上方落語定席、
大阪天満宮(北新地の氏神)、商業施設、宿泊施設などが東西南北に構え近代的な
水都を形づくっています。                 
 「くいだおれ」のおおさかは今なお健在です。

 大和時代から堂島一帯には遣隋使・遣唐使が往来した国際港としての歴史があり
ます。国内外の水上交易の要衝として先進技術・文化の導入、継承に重要な役割を
担っていました。              
 この地には約千四百年のおもてなしの伝統と風格が織り込まれています。 

 これまで敷居の高いイメージであった、「北新地」。セミナーでは五感を満たし英気を
養える安心で安全な街、新進気鋭のスタイリッシュな 「キタシンチ/ Kitashinchi 」 を
ご紹介下さいました。                    
 さらにこの地の世界観や美意識ならではの有形・無形の薫陶を感じさせていただき
ました。                   

 次回は「ムルソー」の語源について探索してみませんか?

 セミナーはホワイトバレンタインデー、宵の口。大坂城に馥郁たる梅東風漂い薄化粧...
と風情ある景観でした。

 

 

セミナーの資料です。






 


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