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演題 |
「武将と茶の湯(写真で歴史散策)」 |
講師 |
矢野加寿子氏(昭和62卒) |
リングベルズ代表 |
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リングベルズ(パンフレットホームページ制作業)代表
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第203回金蘭会セミナー 感想文
「茶の間」の風景といえば、茶礼、茶の湯、食事や団欒の居住空間での様子が 茶人ゆかりの名所の写真を供覧しながらのご講演は、美術館の音声ガイドのように 秋〜初冬は、ちょうどツバキ科チャノキの果実期であり、前年の開花後に生った (以下はご講演の大意から抜粋) 8世紀:遣唐使や留学僧らにより茶種が仏教や唐の文化とともに渡来。当初は大変 12世紀末(鎌倉前期):茶祖・栄西禅師(臨済宗 建仁寺開山)が宋の禅寺より茶種を さらに、栄西から禅と茶の功徳を学んだ明恵上人(高山寺)が日本最古の茶園を開き 〜鎌倉末期:喫茶の風は貴族や武家社会へも普及、社交の場「会所の茶」が流行し 14世紀(南北朝時代):「闘茶(お茶の産地当て)」が愛好される。 (室町時代初期〜中期’) 東山:貴族の建築、書院造りが住宅として普及し、茶会は会所から書院茶に移行。 15世紀後半(室町時代):茶の文化の転換期 堺の町衆 武野紹?は珠光の茶道を深め、国際的な商業都市 堺の豪商は積極的に 16世紀後半(安土桃山時代): 同時期、天下人 織田信長が茶の湯を正式な武家儀礼の資格として備え、華やかに 豊臣秀吉時代、茶の湯の権勢は最高潮に。「禁中茶会」「北野大茶の湯」を華々しく開催。 徳川時代、茶の湯の政治性は希薄化、将軍家の茶の湯指南である小堀遠州の死後、
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セミナーの資料です。
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