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演題
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能「景清」をめぐって |
講師 |
岸田 善三郎氏(恩師) |
元大手前高校教師 |
2003年年11月29日岸田善三郎先生は傘寿の祝いにご夫妻で記念能『景清」を舞われます。場所は大槻能楽堂。 その後岸田先生を祝う会の発起人の同窓生が計画され、KKRホテル大阪にて行われます。記念能は岸田先生がご招待くださるものです。 このセミナーを受講した人たちは、とてもよく理解できる事とおもいます。 落ちぶれてしまい、娘が訪ねてきたとわかっても、最初は名のることも拒む景清。しかし、武将としての誇りと気概は忘れてはいない。その心の内をいかに表現するかが難しく、また見所、聞き所であるらしいです。 (左の画像は宮崎県延岡市の教育委員会文化課の許可を得て載せています) |
まず、景清とはどういう人なんだろう、というところから始めなければならない。 「平家物語」で平家軍団の中でもとりわけ「剛の者」として描かれている悪七兵衛景清。岸田先生の説明では悪七兵衛と呼ばれたのは「悪者という意味ではなく、強い者という意味」だそうだ。 壇ノ浦で生き延び、頼朝を暗殺しようと企んだが捕らえられ、日向の国に流された。 そして、源氏の世を見ることを潔しとせず自らの両目をえぐり盲目となって、生涯を終えたらしい。 |
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ようやく、娘に会う決心をして藁屋を出るために立ち上がる。 | 盲目であるため、まず手の甲で、柱の位置を探る。 | 両手で柱をつかんでしっかり立ち上がる。 | 杖を手に敷居をまたいで出てくるところ。 |
シテ(主役)の座り方は、右膝を立てる。衣装を着けるときにどちらの膝を立てるかで、着付け方が違う。 | ツレ(準主役)の座り方は左膝をたてる。座ったままの方向転換はとても大変らしい。 | この、少し腰をかがめた歩き方の基本が一番難しいらしい。 | 戦で、首を打ち落とす時の表現が立てていた扇をカクッと寝かすこと。 |
金蘭会セミナーも8クール目(八年目)に入るわけだが、参加者は減るどころか増える一方。 この日も150人ぐらいが集まった。 ひとえに運営委員会のみなさんの活躍、とりわけ、講師の交渉から懇親会の軽食の手配まで心を砕く運営委員長の努力の賜物である。 |