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演題
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節句人形のよもやま話 |
講師 |
三木啓二氏(昭和51年卒) |
(株)三木直商店 代表取締役社長 (社)日本人形協会 理事 大阪府人形問屋協同組合理事 松屋町筋商店街競合組合理事 |
・まず「節句」とはなにか 古来中国では「季節には竹のように節目がある」と考え、奇数月の重なる日というのを節日(せつにち)といい、強力な神の力が得られる節目の日とされた。特に、 一月一日 人日(じんにち)七草がゆの日(のちに一月七日) 三月三日 上巳(じょうし) 桃の節句 五月五日 端午(たんご) 菖蒲の節句 七月七日 シチセキ 七夕 九月九日 重陽(ちょうよう) 菊の節句 これらは奈良時代に中国から伝来した、五節句という風習で、その日にお供え物をして病気や災難を祓って無事に季節の節目を過ごそうとするものである。 ・「飾り雛」への道 雛は祓えの撫で物として身体を撫でて穢れを祓う古来の風習から起こったものであるが、その頃は天勝(あまかつ)這子(ほうこ)などと言って、幼児の形の白い縫いぐるみであった。やがて、美しい衣装が着せられ、男女の区別の出来、比々奈(ひびな)といわれて玩具として用いられるようになった。現代で言うお人形遊びというところか。 現在のように雛壇の上に鎮座するようになったのは、徳川家康の孫、東福門院(和子)が子供(皇女興子「おきこ」のちの明生天皇)のために作った座り雛がそのはじめであると言われている。 したがって、この時、左上位の原則から、親王女雛が左(向かって右)に置かれるようになった。しかし、京都では親王男雛が左(向かって右)に置かれている。 左上位の風習は唐のそれが伝来したからである。しかし、それ以前漢の頃は右上位であった。右姓、右職、右腕などが優れた意味に使われ、左遷、左まえになる、などが悪い意味に使われるのは漢語だからである。その後、中国は時代で、左上位、右上位が次々入れ替わる。しかし、日本では唐の左上位が残っているのである。 |
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この講義を聴いたからには、雛飾りを見る目も変ろうというものである。 今回はほとんどがお雛様のことに終始したのが残念であったが、それでも時間が足らなかった。 機会があれば他の節句についても話を聞きたいものである。 三木氏は最後に、「協会から、ぜひ言っておいてくれと頼まれたのですが」と前置きして、「市松人形の髪の毛は決して伸びません。」とおっしゃった。 |
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