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演題
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コロラドの歴史と文化 |
講師 |
作田 共平氏 (昭和27年卒) |
長岡技術科学大学名誉教授 コロラド州立大学客員教授 |
作田共平氏のご専門は「光」に関する研究であるらしいが、あえて金蘭会セミナーのために、コロラドに住まれるようになって遺跡の多さに驚き、興味を持たれた「コロラドの歴史と文化」についてお話いただくことになったのである。 | ||||
判りにくい地図で申し訳ありません。コロラド州の位置がお分かりでしょうか。州の中心を南北にロッキー山脈が通る。 |
約1万5千年から2万年前 Folsom Manと呼ばれる人類の形跡がある。(石器、矢じりなど) |
約数千年以前 Basket mekerとよばれる人類の作った住居が多く残っている。 この後Cliff Dweller(崖の住人) の遺跡もある。 |
1590年(スペイン人出現以前) Uta Indianがいた。 狩猟民族でテント住まい。 後にロッキー山脈の東からCheyenneとArapaho Indianがやって来る。 |
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1590年(スペイン人出現以後) しかしこれはスペイン人とは限らず他のヨーロッパ人と考えられる。Beaver Hunterと呼ばれるようにビーバーを狩った。 |
1821年以後 Santa Fe Trailの開設。 ミズーリ州のインディペンデント市からサンタフェまでの道が開かれ、貿易に使われた。 移住者とIndianとの共存時代 |
1859年以後:Gold Rush時代 移住者とIndianとの争い。(1894年のSand Creekの大量殺戮)。Gold Rushによる急激な人口増加で商業都市となった。1876年コロラド州が誕生した。アメリカ独立の100年後であった。 |
20世紀に入ると自動車鉄道の発達によって、観光地として多くの観光客が訪れるようになった。 |
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こういう観光客のための宿泊地もできた。 |
結核療養所などの保養施設が作られ多くの患者がコロラドに移住。しかし、一面雪景色のこの寒さの中、患者達は外に椅子を出して座っている・・・ |
1924年白人優位主義集団KKKが政権を握ったこともある。 |
1930年代の経済大恐慌で失業者の大量発生。他の州からの失業者を追い返す条例も作られた。この写真は足止めされて、追い返されるところ。その後New Deal政策と第二次世界大戦で経済発展をとげる。 |
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戦場にはならなかったがアメリカも戦争では経済的にたいへんだったらしく国債を買うようにというコマーシャルのポスターが作られた。 |
第二次世界大戦後のコロラド コロラド州は最も多くの軍事基地を抱える州である。北米防空管制指令本部、空軍士官学校、陸軍基地等がある。 |
ヴェトナム戦争時代には反戦運動が盛んに行われた。デモに参加して試験を受けられない学生にも「パス」を発行するようにと学長から指示があったぐらいはっきりと「戦争反対」を表明する学校もあった。 |
冷戦後のコロラドは Tハイテク産業の中心地、としての顔と U野外レクリエイション(ハイキング、登山、スキー、カヌー、Rafting、Campingなど)の最適地としての顔を持っている。なお、作田氏がお住まいのコロラドスプリング市は山梨県の富士吉田市と姉妹都市で、毎年交流が盛んに行われているという。 |
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講義の後の質問タイムでは、作田氏の奥様のこととか余暇の過ごし方などコロラドの歴史と文化にあまり関係のないことが質問に出たりして、作田氏も苦笑しながらも和やかな雰囲気で答えてくれた。 しかし、よほど親しい間柄でもプライベートな事は話題に乗せないアメリカ人である奥様がもしいらっしゃっていたら、カルチャーショックを受けられただろうな・・と思った次第である。 |