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演題
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懐かしの映画音楽(洋画)。懐かしの映画主題歌(邦画) 。 |
講師 |
藤原 啓助氏(昭和28年卒) |
立命館大学 非常勤講師 工学博士 |
講義に先立って、一月なので震災で亡くなった5名の方々に黙とうをささげた。 さらに、震災で家を失った方が金蘭会の援助で大手前高校を卒業、大学入学、、卒業後就職されて結婚をされた、と報告があった。震災から10年の月日が流れたことを実感するとともに震災の時の金蘭会の活動の大きさも再認識した。 さて、藤原啓助氏は3度目の登場である。 それだけ幅広いご趣味をお持ちだということである。 その中の一つ映画音楽のコレクションをご披露くださった。 映画の中に使われた音楽はその映画の俳優やストーリー、場面などダブって印象に残るものである。 「逢引き」、「しのび逢い」にはラフマニノフ:ピアノ協奏曲が使われた。 民謡や唱歌が挿入されている物もある 「燃ゆる大空」には「故郷の空」、「ビルマの竪琴」には「旅愁」が使われている。 映画と音楽が結合したのは1920年代後半ハリウッド映画がトーキー化された頃からである:「雨に唄えば」 わが国では昭和6年に「モロッコ」や「巴里の屋根の下」などからトーキーに積極的になった。それ以前は弁士が活動写真を語り、楽士が音楽を奏でた。したがって昭和7年には弁士楽士の解雇反対ストライキが行われた。 |
洋画 世界映画音楽大全集 (RCA株式会社) |
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映画名 | 会議は踊る | 舞踏会の手帳 | 第三の男 |
曲名 | ただ一度 | 舞踏会の手帳 | 第三の男 |
製作年 | 1931年 | 1937年 | 1949年 |
コメント | 淡い恋物語 | 20年後昔踊った男達を調べる | 最後の場面が印象的 |
禁じられた遊び | エデンの東 | 風と共に去りぬ | 駅馬車 |
禁じられた遊び | エデンの東 | 風と共に去りぬ | 駅馬車 |
1952年 | 1955年 | 1939年 | 1927年 |
☆ | 女優さんは監督の奥さん | 戦前の総天然色映画! | ☆ |
邦画 日本映画主題歌集・ 懐かしの銀幕主題歌集 (日本コロンビア株式会社) |
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真昼の決闘 | 南太平洋 | ウエスト・サイド物語 | ☆ |
ハイ・ヌーン | 南太平洋序曲 | トゥナイト | ☆ |
1952年 | 1958年 | 1961年 | ☆ |
時計が印象的だった | これは内容より音楽がいい。 | ☆ | ☆ |
愛染かつら | 新妻鏡 | 馬 | 青空交響楽 |
旅の夜風 | 目ン無い千鳥 | めんこい子馬 | 青い牧場 |
S13年9月 | S15年5月 | S16年3月 | S18年1月 |
☆ | ☆ | ☆ | 戦時中とは思えぬ明るい歌 |
そよかぜ | 鐘の鳴る丘 | 青い山脈 | 喜びも悲しみも幾年月 |
リンゴの唄 | とんがり帽子 | 青い山脈 | 喜びも悲しみも幾年月 |
S20年10月 | S23年11月 | S24年7月 | S32年10月 |
終戦の年 | ☆ | 連載小説だった。 | ☆ |
藤原啓助氏が映画をよく観たのは、昭和17年〜24年の邦画(主として戦争、チャンバラ)、洋画(主として海賊、ターザン、西部劇)、昭和29年〜35年の洋画(昭和33年が戦後の映画観客動員数のピーク)で、収録曲もその間のものだそうだ。洋画の方がお好きらしく邦画になると無口になられたがそれに反して会員の歌声が大きくなってきたのが対照的だった。 曲は知っていても映画の内容を知らないのに自分自身驚きつつ、ぜひとも紹介された映画を見たいものだと思った。 |