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演題
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いつも心に大手前 |
講師 |
田部井 昌子氏(昭和27年卒) |
株式会社関塾 代表取締役会長 |
『田部井昌子』賢者のあゆみというプリントに従ってご紹介しよう。 1946年疎開先から戻ってきて13歳で大手前高等女学校入学とある。 1949年16歳の時、親の事業が破綻、6人兄弟の一番上だった田部井氏は大手前を中退して「交助会」に入社、地下鉄の駅売店で働く。 1954年21歳で結婚後夫の経営する電気販売店を手伝う。 商売には不向きな理工系のご主人に代わって、週に一回顧客にハガキを出したり、当時サラリーマンの給料の20倍ぐらいしたテレビを売るのに、頭金を取らずに販売したりと工夫をした。 1958年25歳:事業がピンチに「9カ年貧乏脱出計画」を立てる。 1974年41歳:住之江学習塾(現関塾)を始める。 間口一間半、二畳と四畳半の部屋で始めた。 そのうち近所に大きな学習塾ができ、困って仲人をしてくれた人に相談した。 そのとき思いついたのがFC(フランチャイズ)。昔電気店をやっていた頃東芝がそれをやっていたのを思い出したのだ。 1976年43歳:FC展開を始める。 これが事業家たる田部井氏ならではだと思うのだが、「フランチャイズの募集には『何か』が必要だ」と考えたという。それが講師を5人招いての「無料教育相談会」だった。あまりの盛況ぶりにマニュアル作りをした。 そのFC展開が軌道に乗りかけた頃、喘息で入院する羽目になった。お年寄りばかりの大部屋で、とても暗い雰囲気だったらしい。ここでも田部井氏は「どうすれば早く退院することができるか」を考えた。このときの話は素晴らしいと思ったのだが、「気持ちの持ち方を変えよう」と考えたという。 食事の時は窓から外を見ながら、「ホテルで食事をしている気分になりましょう」。 時にはファッションショーのような事をしたり、往診に来る医師をスターに見立てて「サインをください」とみんなで言ったり・・ なんと、一ヶ月で田部井氏のみならずその部屋の患者さんがほとんど退院した、というからすごい。 しかし、経営者がいなかった間、事業は下降線をたどっていた事で、田部井氏は「商売には仲間が必要だ」と痛感した。 1986年53歳:女性初の経済同友会会員となる。 ここでも随分と勉強させてもらいました、と田部井氏は語る。 1990年 奨学金給付と生涯学習の調査研究を目的とした財団法人田部井教育振興会を設立。 1992年59歳:IFA(国際フランチャイズ協会)正会員となる。 この頃コンピューターを導入して、月一回のテストを実施。 また、コンサルタントのアドバイスはおおいに参考にする、という。自分が思ってもいなかったアイデアを提供してくれるから。ただ、IFAの大会には一度も参加したことがないという。 2005年72歳:現在、北は仙台から南は福岡までFC展開中。 ○質問の時間で ・今の日本の教育についてどう思うか 田部井氏はひとこと「教育の目的は『ふれあい』」。 ・今までで一番苦しかった事と嬉しかったことは? 苦しかった事:九州のほうのFCが何軒か会費を払わなくなったときの対応が訴訟になってしまったのが残念に思う。 楽しかった事:創業の4月10日と9月の誕生日に毎年祝ってくれるのが嬉しい。 ・子供が少なくなって潰れる塾が多いが関塾さんでの対応は? その件については「かまびすしいが大丈夫!」と、まず一言。 教室における戦略、戦術、戦闘をスタッフと教室とで考えることを始めている。 子供の数が減っているというが、一人にかける費用が違う。(だから大丈夫だ、ということだろう) 大きな声で注意をすると、「ヒステリーを起こしている」と思われるので困った、という言葉に、いかに女性が企業のトップである事が大変であるか、の片鱗を見た。 |
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