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演題
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平等院鳳凰堂のCGによる復元 |
講師 |
樋口 文彦氏(昭和34年卒) |
大阪芸術大学 建築学科 教授 |
大阪芸術大学藝術研究所研究「平等院鳳凰堂のCG制作」の資料から抽出されたものをもとにご紹介します。 ○平安時代と平等院鳳凰堂概要 平安遷都200年、摂関政治の最盛期は貴族が政治を怠り、飢饉、日照り、水害、地震、疫病の流行、僧兵の抗争などで、貴族も民衆も危機感を募らせていた。末法の到来におびえ、救いを阿弥陀仏に求める浄土信仰が盛んになり、関白藤原頼道が宇治の平等院に阿弥陀堂を建立した。後の鳳凰堂は、現在世界遺産に登録されている。藤原時代における浄土教の流行は多くの阿弥陀仏堂を生んだが、この世にありながら極楽浄土の幻影に陶酔しようとしたその代表的なものが平等院鳳凰堂である。 ○建立当時の復元CG ●建造物の形状データ入力 寸法は、昭和修理時の「平等院鳳凰堂修理工事報告書」(京都府教育庁文化財保護課)の竣工図面によった。 ●彩色文様ー繧繝彩色(うんげんさいしき)と紺丹緑紫(こんたんりょくし) 昭和20〜30年代に行われた原寸大復元模写をスキャナーでコンピュータに取り込み、色彩調整をして各部材にテクスチャーマッピングした。紺、丹、緑が顔料(岩絵の具)に対して復元模写の褐色は染料のため痕跡調査で判定が困難であったが、この時期は繧繝彩色の確立をみており紺丹緑紫に従い、復元模写の褐色を紫色に変更した。紫色は黄土に藍、臙脂を用いたものを参考。 なお、紺丹緑紫とは、紺の寒色には丹(赤)の暖色、緑の寒色には紫の暖色をあわせるのが良いという意味である。 ●雲中供養菩後壁の推定復元 11年度には時代に見合う形の雲を再現。しかし12年度には全体のバランスを考慮し空を青色にぼかしその上天井桁までは同時代の文様を配した。菩薩の色彩は不明なので金箔色とした。 ●11年度のハイビジョン制作には企画制作委員会が設けられ、古建築研究(元奈良県国立文化財研究所 鈴木嘉吉氏)、仏教絵画史(神戸大学文学部教授 百橋明穂氏)、文化財復元彩色(川面美術研究所長 川面稜一氏)の各分野を代表する専門家の指導を得て、以上の作業を行った。12年度制作に関してもそれらを踏襲した。 CGで復元された平等院鳳凰堂を見ていると極楽浄土を夢に見た当時の人たちの想いが伝わってきた。 |
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樋口氏の講演を聞きにたくさんの 34年卒の皆様が駆けつけた。 |
これを復元すると右のようになる。 |
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この部分も右のようになる。 |
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今年も金蘭会の一クールの最終月がやってきた。 いつものように一年間10回分のセミナーに皆勤した会員たちの代表者に皆勤賞が授与された。 今年も升谷会長がお留守のため、米田副会長が授与された。 雨の日も風の日も皆勤するということは、予想以上にたいへんなことなのである。病気もできない。 それを思うと、お世話役の運営委員長が90回皆勤なのがすごい。 聞けば他の会合でフランスから帰ったその日もセミナーには出席なさったとか。 講師のかたにお願いしておいて、自分が休んでいては申し訳ないからと。 この努力が長く続いている理由であろう。 皆勤賞受賞者には賞状と、クリアファイルが贈られた。 どちらにも大手前の校章がついている。 なお、いつもお弁当と一緒に配られる和菓子は、やはり校章入りの紅白饅頭である。 運営委員の方々に感謝したい。 |
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