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金蘭会の創立
金蘭会---その名の由来
『二人同心 其利断金、同心之言 其臭如蘭』 (「易経−繋辞伝」)
(二人心を同じくすれば その利きこと金を断つ、同心の言は その臭い蘭のごとし)
「同じ心を持つ者が協力すれば あの硬い金を断ち切ることができるように何事も成し遂げることができる、同志の言葉は 蘭の花のように芳しい」
 これは親しく固い交わりの大切さを説いたものであり、ここから「金蘭の交わり」「金蘭の友」という言葉が生まれました。
 この友との交わりを大切にする「金蘭の友」「金蘭の交わり」という言葉から、明治28年、当時の同窓会長(第3代校長)柴直太郎氏によって、同窓会の名称は 『金蘭会』 と名付けられました。
 左の書は、日本で初めてノーベル物理学賞を受賞した 湯川秀樹博士(夫人は 湯川スミ氏 昭和3年卒)のもので、現在、校長室に飾られており、そのレプリカは金蘭会館2階の金蘭会ホール入口に掲げられています。
金蘭会の創立
 明治19年9月21日、母校は大阪府師範学校女学科より独立し、「大阪府女学校」として設立されました。この当時、大阪では最初の府立女学校の開校でした。
 明治24年7月18日、当時中之島にあり「市立大阪高等女学校」と称していた本校の第3回卒業式に際し、母校橋本教諭の勧めにより、同期生の三好タネ、藤田ヤス、大西ツル、池田エダの4名が同窓会の創立を発起いたしました。
 明治24年8月23日、第3回卒業生22名が会合を開き、ここに本校同窓会は呱々の声をあげました。当時、卒業生は本科、別科及び保姆科を併せて 117名でした。初めは月1回の会合を持ち、会費5銭で相互に旧交を暖め「大いに師恩の報謝につとめる」というものでしたが、その後規則を定め、毎年卒業式後に大会を、1月、7月、10月に例会を開催することにしました。会費は年40銭とし、他に例会5銭、大会10銭を納入することも決めました。発足時の規則はきわめて素朴なもので、これが本来の会則としての形態を整えたのは、本校が「市立大阪第一高等女学校」と称していた明治33年のことでした。

Last Modified: ページ作成 S53年卒 岸 政輝