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■第10回贈呈式

平成17年11月13日日曜日に、大阪府立国際児童文学館で第10回国際グリム賞贈呈式が行われました。

  受賞者は、マリア・ニコラエヴァ博士(Dr. Maria Nikolajeva)で、比較児童文学の優れた研究者であり、児童文学史、ファンタジー、絵本論など注目すべき刺激的な著作を多数発表されておられます。また、国際児童文学学会(IRSCL)では、会長として会の発展に多大なる貢献をされ、児童文学協会(CHLA)では紀要の国際コラム(各国の共同研究状況)を担当されています。
  さらに、児童文学研究の国際ネットワーク(Nor ChiNet)のコーディネーターとして北欧圏にとどまらない活動を行っておられます。長年の研究の成果である多くの著作では、常に児童文学に対し、新たな切り口で挑んでこられました。また、その研究には『長くつ下のピッピ』の作者リンドグレーンや「ムーミン」シリーズの作者トーベ・ヤンソンの研究なども含まれています。
  以上の業績により、マリア・ニコラエヴァ博士は、児童文学研究の国際的振興に大きく寄与する研究者として高い評価を得ておられます。
参考:この国際グリム賞の選考は、2段階で行なわれており、まず第1段階として、国内外の関係者に対するアンケートによって候補者を選考し、その後、10名からなる選考委員によって、最終的に受賞者が決定されています。

       選考委員
         W.カミンスキー: ケルン教育大学教授(ドイツ)
         S.スヴェンソン: スウェーデン児童文学研究所所長(スウェーデン)
         I.ニエール=シュヴレル: オートブルターニュ大学教授
         K.レイノルズ: イギリス児童文学センター所長(イギリス)
         蒋 風: 浙江師範大学教授(中国)
         原 昌: 日本児童文学学会会長 中京大学名誉教授
         藤野 紀男: 十文字学園女子大学教授
         君島 久子: 国立民族学博物館名誉教授
         多田 嘉孝: (財)金蘭会理事
         中川 正文: (財)大阪国際児童文学館名誉館長

■贈呈式のようす
  贈呈式に先立ちまして、財団法人大阪国際児童文学館松居直理事長からのあいさつがありました。
  松居直財団法人大阪国際児童文学館理事長は、あいさつの中で、「この国際グリム賞は、大阪府立大手前高等学校の同窓会であります金蘭会の支援により創設され、児童文学の研究者に対する国際的な賞として今日まで継続しているもので、これもひとえに金蘭会のみなさまのおかげと考えております」と、述べられました。
  また、「この賞は、当館にとって、国際的な研究者との交流を図る主要な事業となっており、今後のさらなる児童文学研究の振興に大いに資するものである」とし、第10回の記念すべき受賞者としてマリア・ニコラエヴァ博士を迎えることができたことは意義深いことだとされました。博士の、幅広い分野にわたる研究と、幅広い取り組みに、独自の視点で取り組んでこられたこと、また、学問領域としての児童文学の研究に、国際的な視野をもって取り組んでこられたことなどが特筆されるもので、加えて、国際的な研究雑誌への執筆や海外での講演活動等にも努めてこられており、これらのご活動は国際グリム賞にまさにふさわしい方であるとされました。
  今後の児童文学の研究へのさらなるご貢献への期待も述べられました。
  引き続き,金蘭会升谷博会長から国際グリム賞とその副賞(100万円)が、マリア・ニコラエヴァ博士に授与されました。

  続いて、大阪府教育委員会を代表して、中西正人理事兼教育次が祝辞を述べられました。
  中西理事兼教育次長は、博士の幅広い学識に基づく研究が広く世界から評価をうけておられることを紹介され、今回の受賞を祝われました。
  財団法人金蘭会・財団法人大阪国際児童文学館の共催により実施されている国際グリム賞は、グリム兄弟の生誕200周年を記念して、大阪府立大手前高等学校創立100周年記念事業として1986年に創設され、児童文学の研究者に対する賞として、国際的にも非常に高い評価を受けていることに言及され、この賞の運営にあたっての、大阪府立大手前高等学校の同窓会である金蘭会の、文学に関する深い理解と、文化を尊ぶ姿勢に感謝の意を表されました。
  そして最後に、児童文学は、子供のための文学としてだけではなく、広く大人にとっても重要なものとなっており、子供たちがすばらしい本に出会うことのできる環境の整備に、大阪府教育委員会として今後も取り組んでいく所存であると結ばれました。
  また、国際児童文学会会長のキンバリー・レイノルズ教授からの祝辞も披露されました。
  教授は、博士は、国際グリム賞第10回の受賞者に最もふさわしい研究者であるとされ、さらに、教授の研究が広く活用されているだけでなく、教授の幅広い見識は重要なものとなっていることを紹介されました。また、教授が学生の教育にも成果をあげており、これらの功績がみとめられ、受賞されたことは非常に喜ばしいことだとされました。

  そして、マリア・ニコラエヴァ博士から、受賞の言葉がありました。
  博士は、まず、金蘭会の理事や、審査委員、児童文学関係者、そして、研究者や友人の方々に謝意を表されました。
  他の分野から児童文学の研究者になったのではなく、当初からこの分野の研究が重要であると考え研究にたずさわってきている博士にとって、児童文学研究における最高の賞であり、最も重要な賞であるこの賞を受賞することができて光栄だと述べられました。その上で、博士は、「児童文学研究は明るい面ばかりがあるのではなく、学問世界のなかになかなか受け入れられるものではなかったこと、しかし、幸いスウエーデンでは元来この分野への理解があったとされ、その結果、本賞において、スウェーデンの研究者の受賞は2回目だが、これは決して偶然でそうなったわけではなく、スウェーデンの児童文学研究の質の高さを示唆するものである」と述べられました。
  博士には、国際グリム賞の受賞という名誉が非常に重要なことなのだが、その副賞の授与について、「星の王子様」の中の文章を引用して、刺激的に謝意を表されました。つまり、「副賞の100万円の賞金について、この賞の重要性を他の方々に説明するのに、100万円の賞よというとわかりやすいものですから」と。
  そして、最後に伴侶に感謝を述べられた際には、会場から拍手がわきました。

■記念講演
贈呈式に引き続き、記念講演会が開催されました。
  テーマ「児童文学における「力」〜誰のために「何の」ために〜」
  Children's Literature: Subject, Voice and Power
 
  児童文学が独立した研究分野になって以来、児童文学を芸術作品と考えるべきか、教育のための作品と考えるべきかは、常に議論されてきており、この状況は芸術と教育の乖離と呼ばれていることをまず紹介されました。ただし、大人向けの文学と児童文学の区別に、この芸術と教育の混在を指標とするべきではないともされました。
  そういった状況の中で、児童文学の新しい見方として、「力」とのかかわりを取り上げていくべきであると述べられました。つまり、児童文学は、力をもたない人々を扱った文学と類似性が見られ、例えば、フェミニズム文学や、コロニアル文学、ゲイ文学などの文学との類似性が見られるとしました。子供と大人の力関係の構造に焦点をあてているのが児童文学であると。力をもたない人々を扱ったいずれの文学の場合も、力の分析や、抑圧された人々の発見によって、フェミニズム理論や、ポストコロニアル理論に疑問をなげかけているのと同様に、児童文学は大人の規範と規範化に疑問をなげかけている。ひいては、社会のアンバランスや不平等・非対象性に疑問を投げかけるものである。社会に抑圧された人々を取り込むためのしくみが、児童文学の分析によってその構造をよく理解することができるとし、これらの文学は、力を持つものが力をもたないもののために作られたものであるとするところから話を始められました。
  具体的な事例として、『ピッピ南の島へ』を引用して、現在の自らの権力構造を転覆させることから始まる物語によって、子供にとって異なる規範である、大人の側の規範を明らかにしていることを示されました。「大人は限りない力をもっているものであり、学校は抑圧の装置として描かれてきている。児童文学の中で、子供と大人の力関係はどのように描かれているのか、そしてその描かれ方は、現在も継続しているのかということについて考えていきたい。」
   この社会に抑圧された人々を取り込むための方法として、「同一視」という教育が行われており、この教育のもたらすあやまちを指摘されました。たとえば、物語の主人公と自分をかさねあわせて読みなさいという教育がおこなわれている。教育者は、時々、この物語の中の誰になりたいのですか?という質問をなげかけます。しかし、こういったなげかけからは、主人公から読者は自由にはなれません。さらに、主人公と同化してしまえば、その作品自体を主体的な視点から評価することも不可能になってしまいます。
  では、この主体的な視点とはなんでしょう、その視点は抑圧とどのように関係するのでしょう。
  博士は、作品の主体は作品の著者ではなく、作品の中にあるものだと指摘されました。主体は行動の可能性を持つものと結びついているべきであると。
   そこで、作品の主人公を決定することが非常に重要になってきます。児童文学においては、主人公を決めることは非常に容易であるとされていますが、ここには議論の余地があると考えるべきなのだそうです。登場人物はそれぞれ、物語を起こす起爆剤であり触媒だと考えていくべきなのだそうです。登場人物には、それぞれ不安や怒り等々を表現する要素なのです。
  例えば、『ハリーポッター』において搭乗する同級生の女性をもう一人の主人公だとする読み方もありますし、『星の王子さま』では、王子の視点から読むのか、あるいはパイロットの視点から読むのかではそれぞれ違った見方になります。
  いつもは、自分に似ている登場人物に自分に重ねることは少なく、王子や美女などに自分を重ねることになりがちです。しかし、そうではない人物にも自分をかさねることができていかなければならないのではないでしょうか。そうでなければ、文学を違った視点で読むことができなくなってします。

  児童文学の中の集合的登場人物を教育的手段と考えて、作者はいろいろな要素をいろいろな登場人物に与えています。このような集合的なキャラクターは、児童文学の伝統的な手法でもあります。どの登場人物に自分を重ね合わせるかを、固定的に考えることに、博士は疑問を投げかけられました。登場人物の1人だけに同化するよりも、登場人物全員を同じ視点にたって評価し、その視点も語り手の意思に基づくのではなく、もっと客観的な視点から考えることが必要であると。同一化の対象と主体的視点については、読者は文学の中に積極的に参加するものになるべきであり、与えられたものとして受け止めるだけでは、批判的になることはできないとされました。
  例えば、『ハリーポッター』では、暗黒の使者からの視点に読者を誘導しているが、これは危険なことである。暗黒の使者の不幸な生活が、ハリーへの迫害の根拠としての印象付けられることになり、ひいてはこれが、子供時代に受けた虐待を、大人になってからの悪い行為の理由付けに資することになりかねないこと。さらには、虐待を受けたものが悪になるという意識づけにもなりかねないことに注意すべきだとされました。
   では、物語の主体を自由に選べといっても、誰を主体として選ぶかについて、選択肢は限られているという問題点も指摘されました。特に、近年の児童文学では、読者に近い登場人物が登場してくる傾向にあり、子供の読者は主人公と結びついた視点で読みがちになってしまうとおっしゃっておられました。その結果、世界は自分を中心にまわっているという誤解を持ってしまうことになりかねないそうです。 博士は、世界には自分と違った人がいることや、自分をかえりみて見るということについて思いをはせる、成熟した読者になってほしいと希望されており、ぜひ、登場人物との同一化をうながすことの間違いに気づいてほしいし、児童文学における「力」の視点に気づいてほしいと語られました。
   次に、カーニバル効果と言われる非日常的な効果による、大人の世界の規範への取り込みについてへと話を展開されました。規範に従うことは、それから逸脱することよりも優先されるべきものであるとし、規範に従わせることによって権力を意識させ理解させるものであるとすることについて説明されました。
   よく物語に描かれた楽園の多くは大人の規範に基づいて描かれており、すべての規範から逸脱した状態であるカーニバルのような状態に、物語を展開させる手法はよく採用されている。このカーニバルのような状態となる、秩序の転覆は、多くは物語の最後にカーニバルの終焉によってもとにもどされる。本来であれば抑圧され力を持たない子供が、物語の中ではカーニバル効果によって、強く勇敢で独立した人物になることができ、世界を冒険してまわれることになる。博士は、これらの手法によって、子供にもたらされている規範は、大人の恣意的なものであるということに気づかせるものこそが優れた児童文学ではないかと考えられるそうです。児童文学は教養小説である、行ってぐるっと回ってもとにもどってくる、という言い方もあるそうです。
   カーニバル効果を使っても、大人の規範への取り込みが図られているものがある。例えば、ピーターラビットがそうで、ピーターラビットは服を着て活躍するどころか、食べ過ぎて気分が悪くなったり、庭園の主人に追われたり、網につかまったり、最終的には服が脱げてしまい、その結果、それまで手に入れていた人のような知恵がなくなったばかりか、すみかに帰り着いた時には疲れ果ててしまうことになる。さらにその後に、母親によって罰が与えられることになり、大冒険の代償が示されるのである。
   全能の力をもつ喜びから、全てをうしなう憂鬱さを経験させるカーニバル効果の中で、もし全能をもっていれば、好きなようにお金を持ってきてもいいのだろうか、好きなだけキャンディーを食べていいのだろうかという疑問をこそ持つべきではないかと博士は話されました。 60年も前から、『長靴下のピッピ』のように、大人の規範の転覆をはっきりと書いたものが現れてきている一方で、いまだ保守的なものも書かれ続けている。『ハリーポッター』のように、最初からハリーの力には限界が設定され、力のかじをとり使い方を学ばなければならない。物語は終焉を迎えてはいないが、今のところ大人が問題を解決するという規範がストーリのなかにうめこまれている。
  大人として私たちは無条件に大人の規範を捨てることはできない、しかし、カーニバル効果を使って、大人の規範は絶対のものではないということを気づかせることはできるはずだと、博士は強調されました。

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Last Modified: ページ作成 H5卒 くらもと,文責 S52卒 小南