■第9回贈呈式 |
第9回国際グリム賞贈呈式が、平成15年10月26日(日)に、大阪国際児童文学館で開催され、午後2時からの贈呈式では、升谷金蘭会会長から正賞の楯と副賞である賞金100万円の目録が手渡されました。 英国から初めての受賞者である、ピーター・ハント氏は、従来、文学研究の一つの分野でしかなかったイギリスにおける児童文学を、一つの独立した学問領域にまで高め、英国の高等教育機関における英文学教授に児童文学の研究者として就任された最初の人物です。 初学者向きの入門書や啓発書から高度な理論書まで、さらには、個別の作家・作品論から批判理論まで、対象、テーマ、研究手法を限定することのないことのない数々の著作は、児童文学はもちろんのこと関連諸分野を含めた深い学識と体験に依拠するもので、いずれも国際的に高い評価をうけています。 児童文学の研究を始めて35年になるピーター・ハント氏は、世界各地で講演活動も活発に行なわれ、本贈呈式での講演は、なんと90か国めの講演にあたるそうです。 また、今年で大学を退職されるご予定で、児童文学研究の集大成といった意味でも今回のご受賞を非常に喜んでおられました。 参考:この国際グリム賞の選考は、2段階で行なわれており、まず第1段階として、国内外の関係者に対するアンケートによって候補者を選考し、その後、11名からなる選考委員によって、最終的に受賞者が決定されています。 選考委員 W.カミンスキー ケルン教育大学教授(ドイツ) S.スヴェンソン スウェーデン児童文学研究所所長(スウェーデン) I.ニエール=シュヴレル オートブルターニュ大学教授 K.レイノルズ イギリス児童文学センター所長(イギリス) M.メシェリコーヴァ 元モスクワ教育大学教授(ロシア) 蒋 風 浙江師範大学教授(中国) 猪熊 葉子 日本国際児童図書評議会会長 誠心女子大学名誉教授 谷本 誠剛 日本イギリス児童文学会会長 中京大学名誉教授 多田 嘉孝 (財)金蘭会理事 中川 正文 (財)大阪国際児童文学館理事長兼館長・京都女子大学名誉教授受賞 |
■記念講演 |
贈呈式に引き続き、午後2時45分から記念講演会が開催されました。 テーマは「児童文学を語るさまざまな声―何をいかに語るべきか」 通訳:多田昌美(美作大学専任講師) 講演では、児童文学の研究においては、特別な取り組みが必要でありさまざまな手法によるアプローチがなされていることをまず紹介されました。 120をも超える項目と75万語をも超える言葉からなる「世界児童文学事典」の編纂にあたって、いろいろな分野においての記述をされたのですが、これを逆説的に取り上げて、いろいろな分野について語れるということは、児童文学の専門家ではないからできたということが言える。いろいろなところで語ることができるということは、かえって児童文学に精通しているものではないことを証明し得るものではないかと分析されました。そしてこれは、児童文学と児童文学研究の関係にも通じているそうで、ここには児童文学研究の強みと危険が共存しているのだそうです。 次に、35年間にもわたる研究生活を、児童文学研究の歴史と重ねあわせつつ振り返えられました。 1960年代後半に、当時だれも研究していないからという理由で、児童文学の研究を始めたのですが、修士論文を書いた時点で、児童文学研究に対して3つの疑問を持つようになりました。第1の疑問は、すでに研究されたものを研究したくないと考えていることに合致しているのか、第2の疑問は、はたして農場や工場で働くのではなく図書館にすわって研究をする権利が自分にはあるのか、第3の疑問は、なぜある本がよくてなぜある本がよくないのか、例えば、なぜ古典文学は大衆文学よりも良くて、大人の本は子供の本より良くて、男性の書いた本は女性の書いた本よりも良いのかというものでした。 これらに対して、結局のところ自分自身本当に何を楽しんでいるかを考えた際に答えを得ることができ、それは、今日までのハント氏の指針になっているそうです。 つまり、第1の疑問に対しては、児童文学は独自性の強い分野であること、第2の疑問に対しては、子供の本は非常に重要であり、文化の根幹であり、教育の根幹でもあること、そして、第3の疑問に対しては、ある本が他の本よりすぐれているということは児童文学を研究するのに意味が無いことがわかったためです。 子供の本を研究するのは他の本を研究するより、多くのアプローチを含んでおり、なによりも子供を含んだものであり大変なのですが、加えて、研究を始めたころは、児童文学研究に対する無知と偏見と戦わなければならなかったそうです。児童文学研究は周辺領域においやられており敬意を払われてはいなかったし、多くの大人たちは子供時代に居心地の悪い印象をもっており早々に脱出すべきものとの印象をもっているし、女性の研究者の多いこの分野は低く見られる傾向がありました。単純な読者を対象としている単純なものであるとか、大衆文学のひとつで研究に価しないとか、アマチュアの作家の多い分野であるなどととらえられているだけでなく、研究にふさわしくない分野であるとか、児童文学研究の講座を開設することは大学の品位をおとすことであり、そもそもこの分野は知的厳格さに欠けているとまでされていました。 もちろん、現在では、何千もの児童文学研究の講座が開かれており、多くの研究者は真剣に研究しており、児童文学研究は、確立され独立した研究分野であるとみなされるに至っています。 そして、最後に児童文学研究の手法について、一般の文学とは異なった手法が求められることを紹介されました。児童文学研究は非常に幅広い分野を総括したものであり、テクストについての考え方や教え方に変化がおこり、教育における権力構造が変化してきている現在においては、児童文学研究においても再構築していく必要があるとされました。このためには、児童文学がほかの文学とどのように異なっているかを考えていくことが必要と語られました。 つまり、異なる読者よって、異なる態度と能力によって、異なる読みがテクストにたいしておこなわれ、不均衡な作者と読者の関係が存在する。そしてこれらのことは、全て、異なる構造を持ち、異なるテーマを持ち、異なる声や語り方をもたらすことになります。 児童文学研究においては、学問間の古い垣根や研究すべき正典があるという前提がこわれてきており、マルチメディア研究や、国際的なつながりへの意識、ジェンダー研究などが発達してきているそうです。 子供の読み方はそれぞれちがっており、この読者に敬意をはらえば、研究者の批判もかわるのではないか。どれだけ本に影響をうけたかによって文学では評価してきたが、児童文学では本が読者にあたえた影響によって評価をくだすべきではないか。普遍的でなく 個人の読みと解釈。対立でなく対話と共調。講演をきくのではなく、語り合う場とする。 子供と女性の独自性を利用し、多くのメディアを参加させ、研究者でない人が参加する。 これらは、児童文学研究の弱点を利点とするものだという力強い言葉で、熱のこもった講演を締めくくられました。 予備の椅子まで用意された満席の会場では、最後まで熱心にメモをとる人など、みなさん講演に聞き入っておられました。 |
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