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金蘭会セミナー


第110回
平成19年7月20日(金)
演題
百人一首と大手前生
講師
大鍛冶和美氏(昭和46年卒)
元大手前高校教諭
 

大鍛冶和美氏 プロフィール

昭和52年 大阪教育大学大学院修了(卒業)
  専門 中古(平安)文学 (物語『宇津保物語』・『源氏物語』)
府立高校に国語科教師として奉職。 
  昭和52年4月〜61年3月 交野高校勤務
  昭和61年4月〜平成16年3月 大手前高校勤務
    赴任した年は、ちょうど大手前高校百周年の年でした。
  平成16年4月〜門真なみはや高校に勤務
     (※平成2年から現在に至るまで金蘭会の理事)

冒頭ビデオ

第110回セミナーの感想

第110回金蘭会セミナー  「百人一首と大手前生」を受講して
S21年高等科卒 島崎倭文子

会館に講議を聴かむと集ひ来る受講生らの明るき笑顔(金蘭会館)
会場に百人一首の和歌流れセミナーの夜は楽しく更けゆく
会場は熱気籠れど和気藹々百人一首のクイズに興ず
上の句に続く下の句言ひ当てれば思ひ出したりかるた取りの夜
かるた会楽しく終り友の兄に送られ家路につきし思ひ出
トランプやかるたに遊ぶ同胞(はらから)の幼き頃の面影顕(た)ちぬ
電灯を黒布に包み戦時下の厳しき日々を過せし青春
手をつなぎ登園したる幼などちと八十路の手習ひセミナーに通ふ
大阪の母校のセミナー楽しくて年に十回十一年通ふ

第110回金蘭会セミナー  「百人一首と大手前生」を受講して
S28年卒 三宅泰子

 「今月は三十一文字なのョ」と金蘭会セミナーに関心を持つ友にも話し、楽しみにしていた20日は生憎の雨模様。それでも向学心に燃える同窓の友は定刻前に着席。渡されたプリントに目を通すなどして受け入れ体勢は充分。今夜の講師は46年卒の大鍛冶和美先生。まずは小手調べに一字決まりの札でレベルチェック?を受ける。すると「むらさめの〜」「住之江の」「めぐりあひて・・」と立ちどころに声が上る。特に最前列の高女卒のお姉様達の反応が際立つ。先生も生徒もエンジンがかかり授業は心地良く佳境に入る。
 大手前生の古典の時間の小テスト問題を解いたり、正解を教えいただく。「完了の助動詞」「未然・連用・・」「ナ行下二段活用」等の言葉を聞くに及んで”習った、確かに学んだ!”と千代紙を張った箱に入れて奥の奥の方に仕舞い込んでいたような記憶が引き出され、何時の間にか数十年昔にタイムスリップする。他の方々もきっと乙女に、紅顔の少年に戻っておられた事でしょう。
 大鍛冶先生が「お手柔らかに」とおっしゃって始まったセミナーでしたが「百点満点の生徒でした」とお褒めの言葉で終了。あっと言う間の楽しい50分でした。余韻を噛み締めつつ帰途につきましたが、傘に当たる雨の音も、素敵な授業の後なので、風情のあるものとして受けとめることが出来ました。有難うございました。





















































升谷会長から皆勤賞の表彰状授与











皆勤賞の賞状と記念品
全員に配られた恒例の紅白饅頭
拡大してごらんになれます










次期セミナーの
野口セミナー担当部長と
理事の方々


第110回金蘭会セミナー リポート メモ書き風

3年前まで大手前に勤務。18年間大手前の教師であった。
思ったほど、大手前生はカルタ取りをしていない。家に祖母がいらっしゃらないのが原因か。

<お気に入りの札>
カルタ取りをしている方には、お気に入りの札がある。

天つ風〜12  天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
花の色は〜9 花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
ひさかたの〜33 久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ

即、反応してくださって、ここに居られる先輩方は本当に良い生徒さんであると思う。

大江山〜60  大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立


金蘭会では1月第3土曜日、新年互礼会の時、くじ引きの代わりにカルタを使う。受付でもらう式次第に下の句が付けてあり、来賓が選んだ札を詠んで発表する。→反応が良いのはさすが元大手前生。

今は百人一首を知っているということは大手前生の常識ではない。
=なぜか?…小さいときにカルタ取りをしていないので

<一字決まりの札>
カルタ取りの札の覚え方として、一字決まり(7首)〜六字決まり(6首)までを覚えるという方法があるが、
一字決まりの札は、 む す め ふ さ ほ せ  という風に覚える。上の句の始まりがそれぞれ、「む」から始まる、「す」から始まる・・・が 1首ずつある。

 む 87  むらさめの露もまだひぬまきの葉に 霧立のぼる秋の夕暮  寂蓮法師
 す 18  住の江の岸による波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ   藤原敏行朝臣
 め 57  巡りあひて見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月かな  紫式部
 ふ 22  吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ  文屋康秀
 さ .70  寂しさに宿を立ち出でてながむれば いづこもおなじ秋の夕暮  良暹法師
 ほ 81  ほととぎす鳴きつる方を眺むれば ただ有明の月ぞのこれる  後徳大寺左大臣
 せ 77  瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ  崇徳院


<三夕の歌>
新古今 三夕の歌
寂連法師  寂しさはその色としもなかりけり まき立つ山の秋の夕暮れ
西行     心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ
定家     見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦のとまやの秋の夕暮れ

定家は、この三夕の歌を百人一首に入れていない。

定家の歌は 〜やくやもしおの〜 を入れている。
来ぬ人を まつ帆の浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ

(百人一首の歌の一部を入れて歌の完全版を検索するページ; http://homepage1.nifty.com/kasen-e/search/search.htm
たとえば、〜やくやもしおの〜を入れると、
97番: 来ぬ人を まつ帆の浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ   が出てくる。ひらがなで入れるのが吉。)

<百人一首とは>
百人一首→正式には「小倉百人一首」 
他にも百人一首といわれるものはあるが(後撰百人一首、源氏百人一首、女房百人一首、新百人一首など)普通は『小倉百人一首』のことをいう。

最近、任天堂のやっている嵐山嵯峨野の観光施設、時雨殿(2006年1月オープン。月曜休館)http://www.shigureden.com/
(任天堂DS時雨殿 http://www.nintendo.co.jp/ds/aixj/ができ、 包装紙に百人一首の模様の長岡京市のおかき屋さん「小倉山荘」が出現した。

<小倉百人一首の成り立ち>
定家の子供、為家の妻の父親 =宇都宮頼綱が、京都嵯峨野、小倉山荘(定家の別荘)の近くに別荘を持っていて、 その人の依頼で襖色紙に載せるために依頼を受けたのがそのきっかけと言われている。男性79人(僧侶15人)、女性21人の歌が入っている。成立当時まだ百人一首に一定の呼び名はなく、「小倉山荘色紙和歌」とか「嵯峨山荘色紙和歌」と呼称された。

<原型>
その原型は、定家の選といわれる『百人秀歌』。
「明月記」(定家の日記)  嘉禎元(1235年)5月27日の項に 百人一首の原型であった『百人秀歌』が成った、とある。

冷泉家 に定家の手になるものが多く残っている。
定家の家集には六家集の一つに数えられる『拾遺愚草』があり、歌論書には『近代秀歌』、『毎月抄』、『詠歌大概』などがある。

藤原定家 1162〜1241年 80歳
父・俊成 1114〜1204年 90歳 長生き筋である。

研究したいという気持ちが強いと長生きできるのではないだろうか。
セミナーに毎回来ていらっしゃる先輩の素晴しい好奇心には脱帽である。

八代集って知ってますか?=古今、後撰、拾遺、後拾遺、金葉、詞花、千載、新古今の八つの勅撰和歌集
定家が八代集から歌を選んでまとめた『二四代集(にしだいしゅう)』という歌集と『小倉百人一首』は、92首が重複している。そのことから、『小倉百人一首』は『二四代集』を中心に他の8首が加えられて作られたといわれている。小倉百人一首の原型といわれる『百人秀歌』は計101首が載せられていて、そのうち97首が『小倉百人一首』と一致している。

小さいときにカルタ取りをしていれば下の句がすっと出てくるに違いない。

夏目漱石 『こころ』の 下 先生と遺書の35段のところの話にも、カルタ取りの様子が登場。
われわれが何気なく読んでいる物語の中にも百人一首の場面が出てくる。残念ながらこの場面は最近の高校の授業では習わない。

<副読本>
小倉百人一首の副読本は多くあるが、昔は白黒のもの。今の副読本は平成4年からカラー版。詳細な説明の入った白黒のものを生徒には持たせたいが、 ビジュアルに訴えるカラー版を持たせるようになっている。しかし後ろには文法の説明一覧が載っているものを採用している。


<大手前生>
生徒は懇切丁寧にすると寄りかかってくるので自立を促す意味で、百人一首の勉強は自分でやることと言っていた。しかしながら確認の意味で、全25回の少テストを行っていた。10点満点で3点以下を3回取るとアウト。→「写経」と呼ぶ写しと12首の暗誦をしないといけない。
学年毎に並んでいるのではなく、国語、数学、英語など、教科毎にずらっと並ぶ長屋方式の大手前高校の教務室(=職員室)なので、テストの点数が悪くて百人一首の暗誦を国語科にしに来て言えないと、他の学年の先生方に笑われる、居心地の悪さ・・・恥を感じてしまう。 したがって→→たいてい暗誦は1回だけで、次からは恥だと思って教務室には来ないですむように勉強してくれる。 勉強させる意図としては、歌そのものを知るのもさることながら文法と語彙も理解して覚えていってもらいたい。


<レジュメ下の段>

A 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが(  )は 露にぬれつつ
天智天皇の歌 
  衣手は〜  ア)継続
    =袖

B (    ) 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
  春過ぎて   持統天皇の歌  女帝この時代から女帝は存在

C あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の (    )夜を ひとりかも寝む
  ながながし

ABCD  Cが恋の歌  ひとりかも寝む
   あしびきの= 山 の枕詞
    ながながし夜を   歌の全体の意味としては;  ながながし夜をひとりかも寝む

    〜しだり尾の までは  序詞(序ことば)と言われるもの。

D 田子の浦に うち出でて見れば (   ) 富士の高嶺に 雪はふりつつ
  白妙の

問い4 枕詞を抜き出せ 上記↑

問い3 夏来けらし   「に」 は完了の助動詞 「ぬ」 の連用形 
               「な・に・ぬ・ぬる・ぬれ・ね」 ←活用は

     ひとりかもむ 文法的にどういうものか?
               「ず」をつけて見分ける。 
               動詞 ナ行下二段活用「寝(ぬ)」の未然形
               「ね・ね・ぬ・ぬる・ぬれ・ねよ」 ←活用は


大手前生、最初はどんな文法が出るかわからないので点数はよくないが、次回からは点が取れる。自主学習であるが、さすが大手前生で教え甲斐がある。

 人間は所詮、男と女しかないので、恋の歌が多い。
  恋歌43、春夏秋冬の四季の歌32首となっており、恋が圧倒的に多く、四季では秋が15首と多い。

 春秋争い  源氏物語・更級日記にも見える

 来にけらし   来ているらしい  らし  根拠を持って推定 白妙の衣を干しているので

 田子の浦     干したり  定家の美意識
  万葉集のものとは、3箇所 変わっている  万葉集は眼前の風景を素直に読む
  ふりける  ふりつつ  降っている様

<定家好みとは・・・>
選定された和歌は、定家好みの華やかなものが多く、100首中43首が恋に関する歌であるのもその特徴といえる。
俊成は 「幽玄」、 定家は 「有心(うしん)」を考えていた。俊成は余韻・余情の世界を統合して幽玄の世界をうちたて、定家は幽玄の世界を分析して有心を設定した。 定家の和歌における理想は有心であり、ことに妖艶さの中に美を見出していた撰者としての好み(定家好み)とともに、選定の目的が色紙和歌として ふすまに張られるためのものであったから、多分に装飾的な美しさを持つものが選ばれたことを考えれば、恋の歌が圧倒的に多いのにも頷ける。


<カルタ取り>
源平   → 半分ずつ取り札を分けそれぞれ自分に向けて並べ、相手の方から取ると、自分の方から相手に札を送る。
        →どの札を送るか
        みんなが知っている札を送ったのでは「敵に塩」。取り札が早くなくなった方が勝ちなので。
ばら取り → 自由に並べて取る。

・一字決まり むすめふさほせ
・二字決まり 42首ある (歌番順の小倉百人一首のページをご参考までに http://www.yk-site.com/kbango.html

<まとめ>; 百人一首も古典である。『古典の持つ力は素晴らしい』と。


<質疑応答>
修辞法とはなんぞや…  擬人法もそのひとつ
カラー版の小倉百人一首副読本には 枕詞  序詞  掛詞 を色別に表記してある。

以上、すばらしい講演をありがとうございました。

<感想>
大鍛冶先生の感想
ここにいらっしゃる金蘭会の大手前生は本当に素晴らしい。学んでやろうとの気持ちが伝わってきて100点満点の生徒である。

先輩のセミナー終了前の感想
私たちの時代は戦争中なので百人一首などはあまりしなかった。
明治大正の女学生は百人一首に夢中であった。また、娘に教えて楽しんでいた。
最初は坊主めくりなどから。古典の授業は昔とあまり変わらないですね。

リポーターの感想
さすが大手前の先生で、ぴったり50分の授業でした。久しぶりにみやびな王朝文化の一端に触れ、頭の中を耕すことができました。 このリポートを作るにあたって、WEB上でいくつか検索した中に、大鍛冶先生の百人一首の模様の包み紙のおかき屋さん?のHPに至り、その中に面白いページを見つけたので、ご存知の方もいらっしゃるとは思いますがご参考までに解説と共に記しておきます。
(百人一首の成立には謎が多く、織田正吉著『絢爛たる暗号、百人一首の謎をとく』では「百首の歌が互いに有機的な関連と連鎖を持つという巨視的な発想」、「クロスワードと暗号」「言語遊戯に属する和歌」という内容が記されている。それを基にした林直道著『百人一首の秘密‐驚異の歌織物』では、縦10首、横10首の正方形の枠内に上下左右の隣接歌が合せ言葉でつながるように配置され(↓下のページでは縦10首、横7首の長方形の枠内に)、鮮やかな山紫水明の水無瀬(みなせ)の絵図を浮き出させている。その絵図を基にして作ってあるのが長岡京小倉山荘のHP歌織物のページである。その絵図の枡の上にマウスを置くと、百人一首の句が現れる。http://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/hyakunin02.html


<皆勤賞の授与式>
101回〜110回皆勤賞の授与
野口先生の呼び出しで、升谷会長からの賞状と記念品の授与式。
今回は23名。 暑さ寒さに負けず、皆勤賞をとるのは至難の業、いつものことながら先輩方の向学心には唯々脱帽です。

<次のターム>
9月111回セミナーからまた新しいタームが始まります。 次回からセミナー運営委員長がセミナー担当部長として 留井さんから野口さんにバトンタッチされます。
留井恵子セミナー運営委員長、初回から110回まで本当に本当にお疲れ様でございました。
なお、野口セミナー担当部長は 6時に金蘭会に来るのがとても難しいとのことなので、ホール運営委員長である留井恵子さんのご尽力も必要かと思います。 関係の方々どうぞよろしくお願いいたします。
そして 皆様、どうぞ、新しいタームの金蘭会セミナーにご期待ください。

(リポート文責  昭和50年卒業 谷村瑞栄)  

      


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