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日本銀行
































 
















 

















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国会議事堂
 
日本銀行総裁として




では、なぜ日本銀行に就職されたのですか?

自分は事業をしようと思っていた、だけど父の事業は継げないということで商社に入ろうと思いました。就職希望は商社で、そこで数か年武者修行をして何か事業をしようと思っていました。だから就職試験は商社を受けるつもりでした。
ところが各会社から大学に来た企業説明の、商社と商社の間に日銀の説明があったんです。まったく偶然なんです。私はそれまでに、「小説日本銀行」(城山三郎著)という古いタイプの日本銀行が書かれていた小説を読んでいたので、日銀は自分には向かないと思っていました。同期になった南原君(東大総長の息子さん)などの由緒ある人ばかり受けてるみたいだし、日本銀行は自分の柄ではないので受けようとは思っていませんでした。
ところが就職説明を聞いていると、日本銀行だけ初任給を言わないんです。法学部ですから労働法なんかやっていて、労働契約の基本は賃金だと思っていましたから、賃金を言わないで人を誘いに来るのは妙な会社だと思いました。東大ではハンドボール部に入っていましたから、クラブの用具を調達に三越界隈に来たんです。たまたま隣が日銀だったのでついでに月給を聞きに行ったんです。
「初任給はいくらか?」って。そしたら、「願書を出さない人には言わない。」って言うんです。それで願書を出したんです。そしたら捕まっちゃった。

現在ご活躍のご様子をお聞かせ下さい。最近株も上がりましたし、福井総裁になられてからホントに徐々に景気がよくなっていると思いますが。やはり総裁の打つ手、打つ手がおよろしいのでしょうね。

バブルが壊れて10年以上たちます。よく失われた10年といわれていますが、私は日本銀行にいるときも、5年間民間にいるときも、戻ってからも、失われた10年ということはないと思っていました。みんなが本当に苦しい努力をして、次の局面になるために頑張ったと思っています。
あれだけ皆が努力して何も成果を生まないはずはない。必ず次の局面になると思っていました。だが、課題がものすごく難しいです。
戦後の50年間を高度成長と言う言葉で表されるように、極めて単一の分かりやすい仕組みで世の中を築いてきました。それが成功の源でした。それがあまりにも強固に築き上げられたために次の局面に移るには、相当過去の構築物を作り直さないといけません。荒っぽく言うと一回壊して造り変えなければならないのです。
だけど50年間もサクセスストーリーが続くとそれを支えている一人ひとりに既得権が染みついている訳で、人には他人の利益を犠牲にすることは平気だけど自分の利益は捨てたくない、という気持ちがあります。これは日本人だけではなく全ての人間の欠点であり、矛盾です。だから前に進みにくいのです。何でそういうふうに急に局面が変わらないといけないのでしょうか?
変わらなければならない要因が、国内に2つ海外に2つあります。
国内の方は皆が豊かになり、人口の増加率が減ったということ。日本は人口が減り、このペースで行くと今世紀末には半分になります。
高度成長というのは人口が増えるということと、技術が進歩して生産性が上昇するということの2つで支えてきました。人口が減るということになると、高度成長を支えた1つの大きな要因がマイナスになります。もう1つはみんな豊かになって所得格差が無いということです。世界中でこんなに所得格差の無い国はありません。一人ひとりの所得が世界最高レベルでかつ、国の中では差がないのです。80年代の終わりから誰に聞いても「何か欲しいものがありますか?」と、聞くと「別に無い。」という答えが多いです。何か新しくて良い物があれば欲しいといいます。         
高度成長時代のように同じものを沢山造るのと違って、今は、常に新しい良いものを造らなければならないのです。それは普通に努力していたのでは難しいのです。
また、海外からの条件としては80年代後半以降のグローバル化、89年のベルリンの壁崩壊以後、市場経済の中にそれまで発展途上国といわれていた国が入ってきました。今や国境を越えて市場が広がっています。企業の競争が厳しくなりました。先進国の場合は賃金が高い、後から市場に入ってくる国は賃金が低い、低コストで競争してきます。だから先に進む国は、新しいものを造らなければならないし、人々が欲しがるいいものを造り、しかもコストも下げておかないといけません。
もうひとつの問題はIT革命、情報通信革命です。それ以前の社会だと企業の持っている情報はまちまちであり、大企業が沢山情報を持っていました。情報をたくさん持っている企業が価格支配力を持っていました。IT革命により、情報が等しくなると情報力を利用して価格を高く決めるということができません。
今、世界中どこの国へ行っても価格支配力を持つ企業は見出せません。今やワタヤンの経済学、ワタヤンの世界に戻りました。
企業はどんなに頑張ったって製品の本当の値打ち以上の値段は付けられません。より高い値段でより高い利益を得ようとすると、人が真似できないぐらい新しいものを造らないといけません。このように4つも厳しい条件を持っている国は他にありません。
先進国アメリカと同じだというが、アメリカは移民で人口を増やしてきました。アメリカは移民を進めると今世紀末には人口が倍になり、日本は今のままで行くと今世紀末には人口が半分になります。このハンディキャップは大きいです。
元々新しいものを造る能力は、日本は高度成長、戦争で負けた分追っかけるという期間があったから、まったく新しいものを造るというよりは、すでにあるものを改良して使う、という時期がありました。だから新しいものを造るという得意技はやはりアメリカのほうが進んでいます。日本は歴史の結果としてハンディキャップがある訳ですが、これをぜんぶ乗り越える条件作りを10年間かけて皆でやってきているのです。
少なくとも製造業の世界ではこの努力がいいところまで前進してきています。まだ道半ばでしばらくは苦しいけれども、きっといいところまで行くだろうと思っています。

総裁になられて意識して変えられたことはどんなことでしょうか。

これも二つあります。まず一つは、若い人の智恵を引き出すことです。そして、その智恵を無駄にしない事です。折角のいいアイデアを無駄にしたのでは若い人を腐らせてしまいます。そんなことではいけません。もう一つはスピードです。慎重なことはいいのですが、これでは現在の世の中では通用しません。一歩前に出るために世の中の変化を先読みしながら考えて、早く結論を出して実行することです。
日本銀行は5年前から政策委員会という民主的な意思決定の仕組みを持っています。9名で、私以外は社外の人です。学者3名、産業界2名、金融界1名、官庁1名、シンクタンク1名、政策委員会のメンバーにこの気持ちを共有してもらい取組んでいます。
それと、皆さんへの説明はわかりやすくしようと思っています。記者会見でも難しい質問がいっぱいあって閉口するんですが、国会で質問があった場合でも本当に私の話を聞いておられるのは国民の皆さんですから、皆さんに理解してもらうため出来るだけ分かりやすく説明しようと心がけています。

それは外へ出られた時の5年間のご経験が影響しておられますか?

それは大いに影響しています。日銀の理屈だけで答えようとすると判かりにくい。5年間民間の立場でいたから、素直に判ってもらいたいという気持ちです。



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ページ作成 S53年卒 岸 政輝