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今回はいままでの最年少のインタビューです。若い世代の人にも金蘭会をアピールしたいと思っています。 ご自身の大手前高校時代のお話や、就職・結婚・家族といったおはなし、30代40代の同年代の人へ、 また大手前高校生へのメッセージをお聞かせください。 父も同じ学校に(教師として)居たのが、一番嫌で、他の先生方から「お父さんに言うぞ」 などと言われることも多く、それが嫌でした。高校時代は映画が好きで、学校ではとても静かだったと思います。 あまり、自分をわかっていなくて、一体自分は何ができるんだろうとずっと考えていた3年間だった。 学校では特にクラブにも入らず、帰って映画館に行くような生活だった。そんな中、 文化祭で2年のときは8ミリ映画を撮ったし、3年の時は時代劇で浴衣を着て出演もしました。 その時は表に出てきたりしていたのはやはり、そういうことが好きだったからだと思う。とにかく、 高校時代は、悩んだ3年間でした。 私から見た木山君は、口数が少なく、その輪の中にはいるけれど我先にではなく、 一番後ろで穏やかに見守っているというイメージです。 ただ、背も高く、どこにいても、目立っていたし存在感もあったね。一昨年の同窓会の際に、 (デビューのきっかけになった番組)歌スタに出演した時の映像を持参してくれた人がいて、 「あの木山君がうたっている筈がない」と一瞬理解できなかったです。 歌に関しては人前では恥ずかしくて大学までは歌えませんでした。ただ、 家や部屋では小学生の時からずっとひとりで歌っていました。 高校時代にバンドを作っている人も多く、文化祭で演奏する人も多かったが 前でやってみたいとか思わなかったのですか? バンドブームだったけどホントにその時は人前で歌う選択肢がなくて。そこに。 環境もあるのかもしれないけど、父親が学校にいたのが大きくで、 自分の存在を消そうぐらいに思っていたような感じでした。 今から考えるとそんなに嫌がる必要はないんだけど、姉もいて家族の3人が同じ高校にいるというのが嫌だった。 生物はお父さんから習わなかったのですか? さすがにそれは外してもらっていました。選択科目としても取りませんでした。 最後の授業で贈る言葉とかを歌ったりするので、友達から、「今日の授業で歌ったよ」と言われたりもした。 父には「歌わんといて」といったこともあったけど、歌ったみたいです。音痴だし、 家でも歌を歌う人ではないし、聞いたこともないのに、最後の授業だけで歌ったみたいで。 姉からも「お父さん歌うよ、気をつけたほうがいい」と言われたこともあり、釘をさしに行きました。 当時は早く卒業したかったです。 高校時代は、高2ですごく成績が落ちました。もういいやとなってしまって。 高3で、とはいえちゃんとしないと試験もできないしということで考え方を変えて勉強し始めました。 <次ページへ> |