大手前時代の思い出をお聞かせください。卒業アルバムを持ってきたのですが、放課後はどのように過ごしておられましたか。
放課後は、クラブ活動が中心でした。柔道部で、学校の隅っこの方の、教室に畳を敷いたような道場で練習していました。
その頃、柔道部は強かったのですか?
一年の3学期ぐらいから入ったんですが、私が入る直前の新人戦では、大阪府で2位、近畿大会でも3位でした。ですから、かなり強かったんです。
そうですか。柔道は卒業までやられていたのでしょうか。
3年の夏休みぐらいまでやっていました。それから大学でもずっと柔道をやっていました。全国レベルでは全然問題になりませんけれども、国立大学の中でやっている分にはねえ、まあまあ強い方でした。
高校の時に初段とって、大学の時は、段よりも実力と、京大の柔道部はそんな風潮でしたので、昇段試合は受けませんでしたけれども、出る時に二段を取ったんです。そんなふうにずっと柔道をやっていた関係で、今、西日本実業柔道連盟の会長を仰せつかっています。
高校時代の思い出っていうと、高校二年のときに破傷風になりましてね。靴ずれから菌が入ったらしく、手当てもせずに運動場を走り回ってたら、ひどくなってきたので、かかりつけの医者に診てもらったところ、これは大変だということで、阪大の微生物研究所に入院したんです。かなりひどかったらしくて、病室の外で先生が、「破傷風の菌は全身に回ったら、命に係わるので、回らないように足を切断するべきじゃないか」とか、そういう話をしているのが聞こえてきたんですよ。ですが、その時は、切断することになったらどないなるのかなあと、今思い返しても不思議なくらいとても冷静に考えていました。結果的には切らずに済んだのですが、その代わり麻酔をしたら、菌が散るからということで、麻酔をせずにね、電気メスで焼ききったんですけれども。
それは痛いですよね。
もう痛くて、あの痛さだったら、どんな痛さでも耐えられるんやないかな、というくらいものすごく痛かったですね。 まあその時は、お医者さんはもちろんですけれども、たくさん見舞いに来てくれたクラスの友達にも、本当に、ありがたいと思いましたね。
またその時はちょうど、進路、進学をどうするかとか、そういうタイミングでしたから、大変だったですけれども、いろいろ考える時間が持てました。
かなりの期間入院なさっていたのですか?
10日ぐらい入院して、学校は2週間ちょっと休みました。
そうですか。そしたら、きっとガールフレンドがお見舞いにいらっしゃったんでしょうね?
いえいえ、そんな…(笑)。
ところで得意な科目というか、好きな科目は?
好きな科目というのは、数学と物理です。まあ、暗記したりするのは、好きじゃなかったですけど。
大手前を卒業なさる時は、将来何になりたいと思っておられたのですか?
まあ、数学と物理が得意ということもあって、日本の産業の屋台骨である「ものづくり」と、それを支える技術を学ぼうと思って工学部に行きたいと考えていました。で、大学はね、ちょうど京大の柔道部におられた、大手前28年卒の丹羽権平さんが、よく高校にも稽古をつけに来てくれていまして。その時に、京大の柔道部の話をよく聞かされましてね。できたら、京大へおいで、と。
京都大学というよりも、京大柔道部へ行きたいと思われたのですね?
そうですね。そんなことで、京大の柔道部に憧れるようになり、大学をどこにしようというのは全く迷わなかったですね。
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