WEB金蘭会

    安田 順惠氏






 
薬師寺
 
 
 
薬師寺について


(薬師寺について)

 私が4冊本の出版にかかわったのは、玄奘三蔵さんがこの薬師寺の法相宗と縁が深いのです。 奈良時代は仏教の宗派でなく学派ですね、 南都六宗というて、法相、倶舎、律、三論、成実、華厳 の各宗がありそのうち 法相宗の唯識思想がこの寺の基になっています。
 だから弘法大師空海さんの真言宗とか、伝教大師最澄さんの、天台宗とかは、 平安時代ですね。もう少し時代が下ってくると浄土宗とか浄土真宗とか。 平安以降は宗教としての宗派ですが、奈良時代はみな仏教学派なんです。三論宗も倶舎宗も、ひとつの薬師寺の中で勉強してたわけです。 だから現代の大学でいうならば東京大学なら東京大学の中に経済学部や文学部がありますわね。 それと同じように薬師寺というお寺の中で全部各宗を学んでいたわけです。 東大寺というお寺の中で各宗をみんな学んでいた。そういうもんなんですね。
 しかし、それが明治の廃仏毀釈とか仏教排斥のころから分かれたり、一宗派に寺が属するようになりました。いま法相宗で残っているのは興福寺さんと薬師寺だけですね。 清水寺も以前は、法相宗でしたが今は北法相宗として独立しておられます。

大唐西域壁画について)

 法相宗は玄奘三蔵さんを鼻祖としているわけですよ。昭和17年に南京の玄武山で頂骨が発見されましたので、 その後いろいろの経緯ののち、この頂骨の一部をお祀りしようというのが薬師寺玄奘三蔵院なんです。 たまたま平山郁夫先生が東京オリンピックの聖火が西から運ばれてくる道が大体シルクロード、 玄奘さんの歩まれた道と感じててシルクロードに興味をもたれて、 それにちなんだ作品で注目されてこられたわけですから、 玄奘さんの頂骨を祀るお堂を建てるのなら私が壁画を描きましょうということでご自分から志願してくださって。 揮毫料とかすべてご寄贈。玄奘法師が長安からインド往復された苦難の道の風景の壁画を描いてくださったわけです。

(金堂の天蓋彩色について)

 薬師寺白鳳伽藍復興の一部として金堂や西塔の天井画の彩色を担当しました。 今度いろんな絵描きさんが集まる。主人が「君も絵がすきだから覗いてみたら」と。 場所が国の重要文化財である薬師寺八幡宮の境内で、まあ家の真前でね。 何げなく覗きに行ったらそのまま親方の先生から画工の一員にされてしまいました。
 金堂の天井支輪板450枚、格天井2000枚に三年間。 西塔の天井画は一年間。金堂の天蓋に一年間。計5年間、土日以外朝から夕方まで毎日従事しました。 絵の具は日本画で使う岩絵具です。
 日本画の絵の具は膠で溶きますから一定の温度が必要なんです。 夏でも暖房つけてね。冬は木造建築の窓や扉など全部ビニールで本当に覆いして。朝6時からストーブつけて用意して。 それでも温度上がらないですからね。膠(にかわ)が固まってしまう。 中指で溶くんです。この(指先)の爪変形してるでしょ。緑青や群青の絵の具は銅鉱山の産物、猛毒ですね。 青は群青、グリーンは緑青、朱は水銀。ついに中指の爪は一度はがれましたね。
 こどもが幼稚園の頃でした。 平山郁夫先生が原図を描かれて、それを我々画工が…。いわば塗り絵ですね。 「曇澗彩色」という技法で難しいです。正倉院御物の中にもこの技法を使ったものが見受けられます。 まず薄うく塗って、ヘリを残して次に少し濃い色を塗って、 またヘリを残してもひとつ濃い色を塗って、同色で3段乃至は4段の濃淡になるのです。 お互いに膠で引っ張り合うから、とてもむつかしいです。膠がきつすぎるとはがれるんですね。 膠が効いてなかったら、粉状になって落ちていく。難しかったですね。 コレ、木に塗ってますからね。一刀彫の職人さんが彩色したのです。皆ヘンコツな職人気質。 最初は九人の画工が狭い部屋で朝から晩まで顔つき合わしてますから。一人で一本全部書くんではなしに、 みな分担ですからね。結局最後は三人残ってやり遂げました。喧嘩は絶えないし恋愛事件はあるし。関係者亡くなったら小説に書こか思てますわ(笑) 。署名などいっさい遺していませんから私は子供や孫に口伝えで私が彩色したことを伝えてほしいと願っています。
 大和川が大氾濫したら、この辺みな浸水するんですって。 金堂の天井板は厚みが3センチ、幅30センチ、長さ4.5mの450枚のヒノキが敷き詰められていますのでいざとなったらそこへ逃げたらいいわと言っています。

薬師寺さんで結婚している人は何人ぐらいですか? 

 10人弱ですかね。塔中・塔頭(たっちゅう)という名のいわば社宅が10件ぐらいある…。

その奥様同士の交流は? 

 仲良くしてますよ。寺庭会といいましてね。私たち若いとき、寺の大きな行事である花会式(ハナエシキ)のときは一週間夜中に法要がありますので一般の信徒の方々が私の塔頭に宿泊されました。朝ごはんなども作り用意してました。最近はホテル事情が良くなってそういうことも無くなりました。 薬師寺には檀家というのはありません。拝観される方とか写経される方などご縁のできたかたはみんな信徒となるわけです。
  1300年前の伽藍を復興するのに、まず百万巻写経勧進をはじめました。 お写経をすることによってご自身の心の修練と同時に納経料によって伽藍復興に役立てられて、ついに700万巻の納経となりました。そして薬師寺は金堂・西塔・中門・講堂と次々白鳳建築が復興され今日に至っています。


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