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永年、世界連邦運動でご活躍されていますが、運動に関わられることになったきっかけは? 1948年に(湯川)秀樹さんがアメリカのプリンストン高等科学研究所の教授として赴任し二人で研究所にご挨拶に伺ったのです。そのとき日本人が来たというので同じ研究所におられたアルバート・アインシュタイン博士がわざわざ部屋に呼んでくださり、私たちの手をとって「私はユダヤ人で、ユダヤ人を迫害するヒトラーが怖くて原子力を兵器に利用することもできるのにな、と物理学者に漏らしたのを、アメリカはそれを日本に投下してしまった。罪のない日本国民の皆さんには本当に申し訳ないことをした」と涙を流されたのです。 翌日、お昼の食事の時間にアインシュタイン博士が秀樹さんの隣に来られて、「原子爆弾のような人類を滅亡させるような兵器ができると人類の将来に大変な不幸が訪れかねない。我々でこのようなことが起こらないよう世界的な平和運動をしようではないか」ということで意見がまとまり、世界的な紛争を解決するための統治機構を創設しようという世界連邦建設運動が始まったのです。 最初は原子爆弾によって大きな被害を受けた日本人こそこの運動の指導者になるのが適当だということで、同じようなお考えをお持ちの尾崎行雄さんに手紙を書いて会長に就任していただきました。 その後ご自身も会長にご就任されていますね。 秀樹さんから「人類の半分は女性だし、私もアインシュタイン博士に手を握られたのだから」といわれて、最初から運動に参加しています。初代会長は尾崎行雄さん、第2代会長は東久邇宮稔彦さんにお願いし、私は1963年に日本で開催された第11回世界大会で第三代会長に就任しました。現在は世界連邦(事務局アメリカ)の名誉会長や世界連邦全国婦人協議会会長などを勤め、2年に1度開催される世界大会には出席するようにしています。 |