衣をぬぎし 闇のあなたに あやめ咲く
やわらかき 身を月光の 中に容れ
ゆるやかに着て ひとと逢う 蛍の夜 |
|
雪たのし われにたてがみ あればなほ
亀鳴くを 聞きたくて 長生きをせり
冬麗や 草に 一本づつの影 |
|
|
|
その近畿車輛さんにお勤めになりながら、俳句に深くなられて女性の心を読んでいかれたんですね。
あのころね、自分のことばっかり読んでましたからねぇ、そのときは、そういう句はいけないとされててね、
ものすごく、そういうことを読むのはいやらしいとそういう感じだったですよ。
ずいぶん叩かれましたけど、ものすごく、孤軍奮闘してましたからね。
でもあの時ね、草城先生がね、わたしの句を取ってくださらなかったらもう、やめてたと思いますよ。で、やっぱり、そういうのが、そういうのも俳句だと、先生はねぇ。まぁ(お心が)広いから、取っていただいたでしょう、だから、あの、これも俳句なんだと思って、いくら叩かれても私は自分の俳句を作ると思ってね。
日本人ゆうたら、みな、一人がね、まぁ、叩かれると、あの、こっち側についてたら安全やいうところがあるでしょう。なんでもそうなんですけどね、そうすると、あんな句はあかんねんとかね、そういう風になるわけですよ。
そんな中をひとり、果敢に闘われた訳ですね。それから、あちらこちらに教えにいってらして、どんどんご自分も磨かれていかれた。
それでね、今思うたら、教えるとかそんなんじゃなしに、句会を開くから一緒に来てくれという、そんなゆうほどのものです。だからほんとに謝礼もらってたかな(笑い)自分が楽しんでた気がする。
句会で、点が多い句が良いとは限らないです。私が批評して、点が少のうてもこの句はいいというのを言いますわね。この句はいいという役です。ところによってはね。最高点、ようけ点が入った方がいいと思う人がありますけどね。そうじゃないんですよ。
一般受けするのと、本当にいいもの、そこを見分けるのが先生なんです。
教室なんかね、サンケイなんか、もう、31年目ですわね。最初の人がいらっしゃいますわ、あのう、離れられへん言うてね、その間に、ご主人がなくなったりされる方もありますけどね。、読売が、25年ですね。その次の毎日教室が1番新しくて、18年目くらいですか。
私はね、今ね、自分が、いかに老い行くかというのを興味を持ってみてるんです。はぁ、見てるんですの。自分をね、どういう老い方をするのかというのは客観的に見たらわかるわけで、あぁ。これが老いだなぁとね、そういう老いを、老いを見たいわけですよ。呆けたら、もう、見れないでしょう。そうですね。だから、呆けたくない。いかに老い行くか、面白いなぁと思てますねん。どういう過程を経て、老いてゆくのかと思ってね。
|