弁護士開業当時 |
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司法試験に合格し、子育てをしながらいよいよ弁護士になられたということですね。
弁護士になったとこまでは良いんだけど、予想外にはやったんです。
マスコミにも取り上げられものすごく忙しくってね、
仕事に消極的だったり失敗したりしたら、だから女はあかんと言われる、
それだけは言われたくない。そしたら帰りがものすごく遅くなる、
子供が小学校1年生だったけど全然見てあげられない。
あの頃、託児所はあったのでしょうけど、主人も職があってなんで私が働かなあかん。
まして子供がいてるのに、気が狂ったのやないかと冷たかったですから誰も見てもらえない。
子供をつれて事務所に行ったりし、裁判所へ行ったりしてね、
夜私が連れて帰る。そしたら12時過ぎになって、子供が翌日学校にいくのがしんどいんですね。
いろいろやってみたりしたんだけどなかなか上手くいかない。
舅、姑は悪い人じゃないんだけど考え方が旧家の古い人ですから、自宅へ法律相談に来た
お嫁さんに「夫が死んだんだけど相続をもらう方法がないだろうか」とか、
「離婚したいんだけど子供は離したくないから自分の方へ、」といった話の相談にのっているのを両親が聞き耳たてているんです。
お母さんはびっくりしたんですね。夫は理解はあるけど家で法律の話は一切するなということになった。
そういうことで余計に時間も無くなって仕方ないから子供をつれて別居するということになって、
夫も来る予定だったんです。夫がお金を出して芦屋に家を借りてくれ、私と子供が差し当たり移って、
夫も来てくれると思ったけど結局来てくれなかった。昔の考えで長男だから親を捨てられなかったんです。
それで結局私らは離婚することになったのです。これはね誰も責められない。
あの時代ですからね。
当然ですわ。よう協力してくれたとわたしは感謝しています。
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