WEB金蘭会





大女将清子さん
女将正子さん



花外楼
大阪市中央区
北浜1-1-14


 
花外楼 徳光清子さん・徳光正子さん PROFILE



【徳光清子さん プロフィール】
徳光清子さんは、昭和14年大阪府立大手前高等女学校卒後、大阪府立女子専門学校英文科卒、教師経験もお有りという才媛。4代目、現大女将である。「女性の地位改善」と「国際的、地域レベルでの奉仕」等を目的とした働く女性の国際ゾンタ26地区エリア2大阪Tゾンタクラブ元会長、金蘭会理事。
著書に『花譜 家族で綴る花外楼物語』がある。



【徳光正子さん プロフィール】
徳光正子さんは、昭和43年大阪府立大手前高等学校卒後、甲南大学文学部社会学科卒、花外楼5代目女将として母(大女将)と共につとめる一方、旅行、油絵、観劇と趣味は幅広い。国際ゾンタ26地区エリア2大阪Uゾンタクラブ元会長。大阪商工会議所女性会会員など。


【花外楼の歴史と大阪会議】
大阪証券取引所や証券会社が建ち並ぶビジネス街の北浜にある料亭「花外楼(かがいろう)」は、幕末の天保年間に加賀国・徳光村の伊助が、ここで割烹料理の店「加賀伊(かがい)」を開いたのが始まりで、約175年の歴史を持った老舗。

明治維新後、政権は大久保利通が握っていたが、明治8年(1875)西郷隆盛の征韓論で板垣退助が下野、征台の役 の強行で木戸孝允が野に下るなど、明治新政府は分裂状態に。この政局を打開するため、伊藤博文・井上馨の仲介で、大久保利通・木戸孝允・板垣退助が「加賀伊」に集まり、世に言う大阪会議が開かれた。会議は1カ月にわたる 紆余曲折の末、立憲政治へ漸次的に移行することで三者が合意。その後の元老院(後の貴族院)・大審院(後の最高裁判所)の設置など、新政府の政治体制を整えるきっかけとなった会議で、花外楼の入り口には「大阪会議 開催の地」の石碑が立っている。<次ページへ



PROFILE 花外楼歴史ミュージアム 清子さんの
大手前時代の思い出
清子さん高女卒業後 正子さんの
大手前時代の思い出
正子さん大手前卒業後
孝さんの思い出 悦さんのエピソード 花外楼戦争中の
エピソード
のれんを守る精神 のれんを継ぐ後継者 若い人への
メッセージ


ページテンプレート作成:S53年卒岸政輝&H5年卒倉本到 ページ製作:S50年卒谷村瑞栄