■色 : インタビュアー ■色
: 徳光清子さん ■色 : 徳光正子さん
明治維新の功労者たちが足しげく通い、立憲政治の足掛かりとなった大阪会議の舞台、大阪・北浜の料亭「花外楼」で2006年9月9日、20年に1度の展示会が開かれた。
『 花外楼歴史ミュージアム』 ― 幕末・明治・大正・昭和の花外楼物語 ― 展
維新政府 の中心人物、木戸孝允の詩や書、初代首相・伊藤博文の大阪会議を招集する書簡、昭和を代表する首相・吉田茂の書など、幕末から昭和までの名だたる人物
約30人の遺品約100点花外楼にゆかりのある品々が一挙に公開され、およそ4000人の歴史・花外楼ファンが訪れた。
当日ですが、ほんとに沢山の方でびっくりしました。
正子氏)普通 美術館だったら作品がガラスに入ってるでしょ。素で見られるからすごいって言われたんですよ。「傷めてもいけないし」 と言われましたけど、「私はみんなの物なんだから構わない」って言ったんです。当日もね
「トラブルがあっても一切かまわないから、そんなことよりも 『ようこそお越しくださいました』 と言ってお迎えしよう、今日の目的は ただそれだけ」って皆に仕事についてもらって、忙しかったけど皆さんにはゆっくり最後まで見ていただけたのではないかと思います。
清子氏)大層歴史が好きだとか、そういうことに深い人がたくさんいらっしゃいました。
正子氏)そうね、遠方からも来られたしね。 私たちの気持ちが通じたのか、想いもかけず、新聞社が大きく書いてくれたと思っています。 もし商売気を出していたら報道してくださったかどうかもわからないでしょ。あの日は忙しかったけど、スタッフ一同、--楽しんでいただきたい-- と言う気持ちで一杯でしたから、私たちも気持ちよく働きました。「良かったね、お疲れさん」と最後にねぎらえました。
1時から7時までと書いてあったのですが、だいぶ延びたのではないですか。
正子氏)どうしようって。「ここで閉めて6時半までに並んだ人以外は止めましょうか」と言われたんですよ。「でも承知で待っておられるんなら、入ってもらおう」って。
美術館ならここまででございます、でいいのかもしれないけれど、私たちの場合は違うでしょ。わざわざ来て下さったのですから。 それで、エンドレスじゃないけど、並ばれた人までは全部お入りいただくようにしました。
見るのに、丁度いい人数が入っていると思いました。普通
美術館だったら、人ばっかりで。ほんとに、見易すかったです。
清子氏)そうですか、わりと見易すかったですか。作品と作品の寸法を計って決めて掛けてくれはったんですよ。
正子氏)近代美術館の橋爪節也さんが、前日最後まで作業なさってくださいました。作品が1つ2つ差し替えられたので、当日のプリントには無かった作品があるんですよ。熱心に探してた人が
あれが無かったとおっしゃるんだけど、最終調整するのは先生方にお任せ致しました。
清子氏)学者さんやから何年何月にどうしたということをみんな書いてくれはったんです。短時間でみんなこれボランティアで、前の日なんか11時過ぎててもまだ先生原稿書いてはんねん。
前日やったから、どないなんねんやろと思ったけど、パチッとパネルになって明くる日パンパンと貼ってくれはって。やっぱりすごいですわ。
正子氏)ありがたいなと思うのは、こうして手伝っていただける事。そういうお陰があって花外楼も今日があるんやな、って思います。一所懸命やらして貰えてよかったし、これからも頑張らないかんなという気になりましたね。
清子氏)コレクションとしてお金を出して集めはる人もあるけど、うちのものはお金を出して買うたというものは無いのです。木戸さんなら木戸さんが外国から帰って来てうちへ真っ先に来て書いてくださったとか、そういうご機嫌のいい時に書いてくださったとか、そういうものばっかりでね。
正子氏)良い美術館があれば、うちで所有しなくてもいいんですけど、以前、花外楼の建物を寄贈したのに再建はされずに模型になって保存されただけじゃないですか。そんなこともあって、それなら
うちでちゃんと保存しておく方がお客様も喜ばれるからと ずっと保存して来たけれど、そういうものを預かって来て、これらはみんなの歴史だと思うのです。
私たちはお金は無いけど、出来ることって言えば、こういう風に喜んで公開させていただくことだろうと。歴史上の人物がここに来て、嘗てこんな話し合いがあったんだな、そしてこんな思いで書いたんだなっていうのを肌で感じてもらう。歴史が好きな人はすごく感動されるんですね。
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