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人生の大先輩・おたなの大先輩を見て お孫さんとしてはいかがでしたか。 正子氏)それまで私は学生だったし、祖母は仕事をしてたから祖母との接点はありませんでしたが、後でいろんな先輩の方々のお話を聞いて、だいたい祖母の人となりを判断できるようになりました。 祖母は終戦のあくる日に夫を亡くしていますが、いわゆる『明治の女性』と言われる様な生き方を貫いた人だと思います。 母は又ぜんぜん違うタイプです。父は全く違う世界からの養子ですが、とても仕事の好きな人だし、夫婦2人で役割分担をして、それなりに和気あいあいと店を盛り立てて来たのだと思います。 底に流れている精神というのは、1つだと思うんです。気の利いた言葉は見つかりませんけど、言ってみれば 『誠実』 ということです。 人間ってなかなか誠実になれないものですが、伊助は常に心がけていたみたいです。 生きた時代時代で暖簾を守る役割は違ったと思うんですけど、精一杯やって守り継がれてきました。 武士にとっての旗指し物が、商人にとっては暖簾がそれに当たり、取りも直さずそれが信用につながる。全く当たり前のことなんだけれど、信用を重んじて、誠実にやってきた。昔の商人はみんなそうだったと思うんです。 それがいつの間にかそろばんを弾くような商売が大阪だと思われるようになってしまって残念です。 よく大阪は 『お笑い』と言われるけれど、商人は士農工商で一番身分が低かったからこそ、「人様から笑われることが恥ずかしい」とする考え方があったようなんです。それが反対にお笑いを育む土壌になったとも思うんですけど。 お笑いお笑いと言うけれど、大阪の本当のお笑いの中には色んな 両親や祖母やら人生の人間関係・仕事の仕方を見ていて、真心とか筋を通すということの大切さを感じるんです。ポリシーといいますか。そういう生き方は当たり前のことであるが故にずーっと脈々と続いてきたんですよね。 私は次の世代に伝えるのは、『誠実』ということだけだと思ってるんです。ただ、その時その時で自分たちの生きる時代は違うし、キャラクターも違うかもしれない。 大きな暖簾というのは1人のカリスマ的なリーダーシップに支えられるようなものではないし。良い時代もあれば悪い時代もあるしね。上昇気流に乗る時も、下支えする時もあるから、自分がものすごいホームランや大ヒットを打つとかいうことはあまり意識せずに、その時その時を一所懸命に生きるということが大事なのだと思います。 木戸孝允に花外楼って名付けて貰ってえらい繁盛したんだけど、2代目の時にある方を信用して家が傾くことがあって、浜座敷と本座敷があったのを手放してるんです。そのときは岩崎さんが助けてくださったということで、そのご恩というのはずっと大切にしています。 世の中のことって移り変わって行くでしょ。「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」と聖書ペテロの手紙1章24〜25節にあるけど、ほんとに移り変わるものですよね。神の言葉だけが永遠に変わることのない真実であって、この世のことは 絶対というのは何も無い。賢く生きようと思って、例えば今このことが素晴らしいとか、この価値観が、あるいはこの考えが、とか思っていても、何かがあればこの私の考えだって明日どんな違うことになっているか判りません。それ程人の心なんて頼りにならないものです。 ずっとお側で拝見しているので、えらいと思います。時の流れもあるのに。 正子氏)えらいのは身体だけですよ。(笑い) すべて感謝だと思うのです。今、健太郎にもそれを言ってるんです。 こうしてお商売させていただけるのも、それは長年培われた歴史、花外楼という暖簾に付いているお客さまのおかげであって、自分のものではないということをわきまえて置かないといけないと教えています。 お 清子氏)商売人てね、暇があるようでないわね。 私ら良いもの食べてるというのは大間違いでございまして、ごく平凡に普段はみんなといっしょのお食事をしています。 みなさん、船場 |